ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


3・11から4年:風化させない決意2015(2015年3月) の記事一覧に戻る

復興進むが〝速さ〟ゆえの課題も(河北新報社 原口靖志)2015年3月

「地元の話題が毎日のように載っているよね」。取材先で住民から喜びの声をうかがうことがある。照れくささの一方で、自社の紙面が注目されている責任感をあらためて痛感する。

 

2012年4月、震災報道の強化のため新設された亘理支局に赴任した。宮城県南の沿岸部にある亘理、山元両町が取材エリアだ。現在の合計人口が5万人に満たない小さな両町は、震災で町域の半分近くが津波被害を受け、住民約940人が犠牲となった。共に内陸にあった役場庁舎も巨大地震で損壊し、職員はプレハブの仮庁舎で業務に当たる。

 

大きな被害が出たわりには、両町をメディアが取り上げる頻度は他の被災地より少ないように感じる。住民や支援に訪れたボランティアからも同様の声を多く聞く。仙台圏の南端に位置する両町は、他の新聞や放送局が取材拠点を置く仙台、白石両市のどちらからも距離があり、足が遠のくのも無理はない。河北新報も震災前は北隣の岩沼市にある岩沼支局がエリアを受け持っていた。

 

だからこそ、唯一の常駐支局として1つでも多く被災地の現状を伝え続けることが責務と考えている。役場、仮設住宅、学校、臨時災害FM局、住民グループの拠点…。時間が許す限り各所を回り、記事になる素材を探し続ける毎日だ。住民に支局が認知されてからは取材依頼も数多く、書く対象は復興事業の検証から保育所のイベントまで幅広い。赴任から3年近くたち、記事のスクラップブックは13冊を数える。

 

取材を通じて感じるのは、両町の復興が他の被災地より比較的速いことだ。亘理町は防災集団移転の宅地造成がすでに完了し、災害公営住宅は今夏にも全てで入居が始まる。被災した小中学校の校舎も昨年8月までに全て再建、修繕を済ませ、併設状態が解消した。

 

山元町は被災集落や公共施設を町内3地区に集約する「コンパクトシティー構想」を町長が強力に推し進め、2013年4月に県内最速で災害公営住宅の一部で入居開始を実現。町内では、被災したJR常磐線相馬駅(相馬市)―浜吉田駅(亘理町)間の内陸移設工事が着々と進む。17年春に再開する計画だ。

 

■地道な取材重ねる努力を

 

しかし、速いがゆえに新たな課題にも真っ先に直面している。亘理町では、集団移転を希望した住民の方針転換で住宅団地の区画に空きが生じ、独断で対象外の住民の分譲予約を受け付けた。被災者の希望に沿った柔軟な運用だったが、防災集団移転促進事業の本来の趣旨からは外れる行為。当初は補助金返還の可能性まで言及した国土交通省だが、結局は「最終的にやむを得ない場合」に限って認めた。町の担当者は「トップランナーゆえの苦悩がある」とこぼした。

 

山元町では、復興構想を強力に推進する町長の姿勢を「強引だ」と反発した町議会が13年12月に全会一致で問責決議案を可決。昨年4月の町長選も元町長に194票の小差で辛くも再選を果たしたが、町を二分したしこりはまだ残ったままだ。

 

少なくとも亘理、山元両町では、多くの事象や施策、取り組みが震災と密接に関わるのは今後もしばらく変わらないだろう。一つ一つ地道に取材を重ね、記録に残す努力を続けていく。そのことが結果的に風化を防ぐのだと思う。

 

(はらぐち・やすし 1994年入社 秋田総局 山形総局 スポーツ部などを経て 2012年4月から亘理支局長)

前へ 2019年11月 次へ
27
28
29
30
31
2
3
4
5
6
9
10
16
17
19
23
24
25
26
30
ページのTOPへ