ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


3・11から4年:風化させない決意2015(2015年3月) の記事一覧に戻る

幾多の自然災害乗り越えて(岩手日報社 八重樫和孝)2015年3月

岩手県宮古市の鍬ケ崎地区は、宮古湾の入り口に面した港町で、江戸時代から交易や漁業の拠点として栄えた。山裾まで住宅が密集し、海沿いには水産加工場が立地していたが、東日本大震災では防潮堤が未整備のため甚大な被害を受け、死者・行方不明者は57人、家屋の全半壊は1112棟を数えた。

 

市は住宅再建に向けて土地区画整理事業(施工面積23・8㌶)を導入し、2014年度から地区内の道路や河川の付け替えなどの造成工事が本格化。土地の位置や範囲を決める仮換地指定も進む。災害公営住宅(40戸)や公共施設も整備し、15年度内の完成を目指す。

 

震災から4年を迎え、住宅再建の見通しが立ち始める中、高台の仮設住宅に暮らす袰岩政子さん(75)を再訪した。震災の津波で被災した市内最古の銭湯「七滝湯」の再建を目指し、地区内の被災7、8業者で4月のグループ補助金の申請に向けて動いている。

 

1894(明治27)年に義理の曽祖父が創業し、石川啄木が訪れた記録もある。袰岩さんは30歳ごろから手伝い始め、早くに夫を亡くした後も番台に立ち続けた。風呂のない家庭も多い時代。近所の社交場としてにぎわい、サンマ船の乗組員が疲れを癒やした。「銭湯がない港に廻来船は入港しない」と語り、漁業再生にも思いを寄せる。

 

区画整理の計画人口は730人で、対象戸数は270戸。住居・商業系の土地15㌶のうち、約8割に利用計画があるが、どの程度の住宅が再建されるか見通しは立たない。区画整理を待ちきれず、高台に自力再建する動きもあった。それでも袰岩さんは「何もなくなってしまったからこそ、銭湯の明かりをともしたい」と気持ちを奮い立たせる。

 

■変わらぬ優しさ伝え続けたい

 

防潮堤整備も大きな課題だ。鍬ケ崎地区は1960年のチリ地震津波で大きな被害がなかったことから整備が遅れ、かねてから津波防災のぜい弱性が指摘されていた。計画が具体化する前に震災が発生。現在は港を取り囲むように延長1・6㌔、高さ10・4㍍の防潮堤工事が進み、完成は16年度内を予定する。

 

漁業の影響や景観面から反対する動きもあるが、「景観より命」と計画推進を求める住民が多数を占める。完成時期は区画整理の完成から1年のタイムラグがあり、その間は津波に対して無防備な状態になるが、「仮設では死にたくない」と、一日も早く住み慣れた場所に戻りたいと訴える高齢者も多い。

 

袰岩さんは「新しいまちは立派になると思うけど、路地が連なった昔の景色は戻らない」と語る。銭湯が再建されることで、往時をしのぶ場が生まれ、人と人が支え合った鍬ケ崎の暮らしを伝えていくことにもなると信じている。

 

岩手日報は震災直後から被災者に寄り添い、「今」を伝える企画を展開してきた。宮古の人たちの取材を通して、幾多の自然災害を乗り越えてきたからこそ培われた優しさを感じた。今後も復興に向けて変わり続けるまちの姿と、変わらない人々の優しさを伝え続けたい。

 

(やえがし・かずたか 2001年入社 12年10月から宮古支局長)

前へ 2024年03月 次へ
25
26
27
28
29
2
3
4
5
9
10
11
12
16
17
20
23
24
30
31
1
2
3
4
5
6
ページのTOPへ