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私の8月15日 解放感が全身を包んだ日(原 孝文)2015年8月

よく晴れた暑い夏の盛りだった。私が16歳で終戦の日を迎えたのは、福岡県浮羽郡(現うきは市)吉井町の戦災疎開先であった。

 

正午からのラジオの「玉音放送」は雑音まじりでよく聴き取れなかった。本土決戦が叫ばれていた時代。国民に一層の艱難辛苦を求める呼び掛けにも聞こえた。

 

3月10日の東京大空襲で焼け出され、一家6人、父の親戚の離れに寄寓していた。

 

開戦の年、東京府立七中に入学したが、戦時特例で終戦の年3月に4年で繰り上げ卒業。しかし軍関係へ進んだ者を除き、校長通達で学徒勤労動員が継続となり、疎開先から横浜・瀬谷の兵器工場へ呼び戻された。

 

昼夜二交代制の缶詰め動員が待っていた。九州から心配した父が迎えに来て、疎開先に戻ったのは終戦ひと月前だった。

 

(読売新聞出身 86歳)

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