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私の8月15日 渡米した父と再会かなわず(堂本 暁子)2015年8月

8月15日、私は長野県沓掛(現在の中軽井沢)の別荘に母と2人でいた。父は、太平洋戦争が始まる直前に仕事で渡米したので、デンバー・コロラドの強制収容所に収監されていた。

 

小学校6年生で集団疎開した先が立川の陸軍飛行場に近い拝島村(現在の昭和市)。連日、空襲が続き、多摩川べりで米軍機の機銃掃射を受け、危機一髪で助かるなどしたので、母が私を連れて再疎開したのが沓掛である。

 

玉音放送を聴いた記憶はない。母から敗戦と聞き、すぐ好きだったお茶の先生の家に走った。「戦争が終わりました」と伝えると「そうですか、ありがとう」と静かに言われた。その先生の顔を見て心なごみ、父のことを思った。戦争は終わったが、父に再会することはなかった。

 

(TBS出身 83歳)

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