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私の8月15日 頭をよぎった集団自決(松尾 文夫)2015年8月

 

7月19日夜、福井市でB29百二十七機による絨毯爆撃を生き延び、一家で岐阜県境に近い曹洞宗第二の名刹、宝慶寺に着の身着のまま落ち延びてから1カ月ちょっと。それにもめげず、陸軍幼年学校をめざすためにはとの母親の方針で、歩けば3時間もかかる大野市内の国民学校に通うため、下宿していた尼寺で敗戦を聞かされた。

 

即座に頭をよぎったのは、まだ12歳ながら母親以下合計12人の弟や妹、叔母やいとこたちの集団自決の指揮を最年長の男子としてどのようにとるのか、との思いだった。この気持ちも高知防衛の部隊にいた父親からの「大御心に副うように」との手紙で、あっという間に消えた。9月に再開した学校の教室では、教室正面の日の丸がマリア像に替わっていた。

 

(共同通信出身 81歳)

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