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私の8月15日 短刀を砥いだ夜(堀越 作治)2015年8月

米爆撃機B29から爆弾が降ってくるのを見て震えた5日後、中学3年の私は1年の弟とラジオを担いで30㍍先の駅まで運んだ。東京・板橋区の東上線東武練馬駅。駅長をしていた父の命令だ。母と幼い弟妹は田舎へ疎開している。

 

“玉音放送“が始まる。雑音でよく聴き取れない。終わると大人たちの意見は割れたが、熱烈な軍国少年だった私は「本土決戦」に賭けた。ところが、夜のラジオは「降伏」だと言う。突然、目の前が真っ暗になって奈落の底に引き込まれそうに感じた。「国辱だ、生きる意味がない」。物置にあった短刀をつかみだし、井戸端で砥いでいるうちに弟に見つかってしまった。「あんちゃん、死んじゃいやだー」。見つからなかったら? わからない。

 

(朝日新聞出身 85歳)

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