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歴史を生かす─新聞づくりは地域づくり─(多田 昭重)2007年1月

元日は、歴史の古里、太宰府市の丘に立つ。昨年に続いて2度目である。ここに九州国立博物館がある。そこで、わが社などが主催する「若冲と江戸絵画展」が始まり、その初日に立ち会う。

 

昨年は同じように元日からの「中国・美の十字路」展をのぞいた。穏やかな日本晴れで、つめかけた多くの参観者を見守りながら歴史と文化と地域のことを考えた。

 

九州国立博物館は、太宰府天満宮の隣りにある。天満宮の正月3が日の初もうで客は例年200万人を超える。そのほんの一部でも足を運んでもらったら、との思いから元日開催となった。

 

博物館とか美術館は、ふつう年末年始は休みだ。それを国立の九博(以下九博と略す)が破ったのは異例のことである。

 

九博は、その生い立ちから異例づくめで、建設、開館までに長い年月を要したが、今、福岡と九州の地域に新しい光を生み出している。

 

太宰府天満宮の名物「梅ヶ枝餅」が、一昨年10月のある日、姿を消した。あまりの売れ行きにモチの皮がなくなったという。

 

●…岡倉天心の夢つぐ九博

 

九博は2005年10月15日に開館した。開館記念特別展として私たちは、「美の国 日本」展を開いたが、11月27日までの会期中に入場者44万1千人を記録した。

 

これを含め、九博は、昨年の開館1周年で、入館者220万人にのぼった。わが国には、東京、奈良、京都に国立博物館があるが、3館合わせての入場者数を大きく超えた。九博自身の年間入場者見込みが50~60万人だったのだ。その後も好調で、「梅ヶ枝餅」が消える波及効果も生まれている。

 

九博は、九州にとって「百年の夢」といわれてきた。明治32年(1899年)2月、福岡を訪れた岡倉天心は、福岡日日新聞(西日本新聞の前身)記者のインタビューにこたえ、九州に博物館設置の必要性を強調した。記事は3日間連載され、これが九博誘致運動の始まりとなった。

 

もう108年も前のことである。官民あげての運動を続け、西日本新聞も「博物館等設置推進九州会議」を組織して、先頭に立った。その後の曲折ははぶくが、新聞が言論機関として、地域とともに国を動かした成果のひとつだ。

 

九博の基本理念は「日本文化の形成をアジア史的観点からとらえる」ことにある。九州は古くからアジア文明の交流拠点だった。今、アジアの時代といわれる時に、この九博が実現したことは意義深い。

 

九博の人気は常設館の内容と特別展の質、それに地域をあげてのボランティア活動など柔軟で新しい運営によるところが大きい。三輪嘉六館長の発想の豊かさと自由な対応も見逃せない。元旦開館などは、三輪館長の決断あってこそである。

 

●…大連、釜山と記者交流

 

そうした中で私は、「アジア、歴史、地域」を新しい年のキーワードと考えている。歴史認識を持ってアジア諸国との交流を推進する。地域づくりに長期的な視点と取り組みが欠かせない、という意味である。

 

これは、日本の国づくりにしても、言論機関としての新聞にとっても重要なことだと考える。

 

昨年10月下旬に私は中国を1週間訪問し、大連、広州、北京の三都市を回った。大連では大連日報社との記者交流などで相互調印し、広州市では人民日報華南分社との友好を深めた。北京では李肇星外相と親しく対談することができた。

 

広州博物館を訪れたとき、入り口に「未来の百年を把握するためには、過去の五千年を理解しなければならない」と書いた表札が掲げられてあった。

 

いかにも中国らしいが、李外相も「中日両国の友好の大道は、どんなものでも阻めない。そのことを立証していきましょう」と話された。

 

安倍首相の初の訪中直後で、日本に対する中国側の雰囲気は温かいものに変わっていたが、李外相は、中国と九州の長い交流の歴史をよくご存じだった。

 

北朝鮮の核問題で、国際情勢はいぜん緊張しているが、日中友好はあと戻りさせられない。

 

9月には韓国・釜山市を訪問、釜山日報創刊60周年の式典に参加した。「日韓海峡圏」の発展策を探ろうと、福岡市と釜山市の各界リーダー計22人で組織する「福岡・釜山フォーラム」を発足させた。今年9月には福岡市で2回目のシンポジウムを開く。

 

釜山日報社とは交流10年に及び、互いに記者を派遣・駐在させる交換記者制度を実施している。アジア諸国との交流について私たちは報道の充実と地域ぐるみの実践をしている。

 

●…中山間地の「限界集落」

 

九博について大原美術館理事長の大原謙一郎さんは「京都博物館以来、百余年ぶりに東京を遠く離れた太宰府に国博が誕生した。過去百年間、文化スポーツ施設に費やす国税の大半が首都圏に集中されてきたこの潮流が変わり、文化政策に地方への思い入れと気配りが増してくれば、日本は今よりずっと魅力あふれる国になるに違いない。(中略)

 

私は十年後の日本は、かぐわしい文化の薫りと心豊かな生活の喜びが広く全国各地の町や村で実感できる、たたずまいの美しい国でありたいと切に願っている」と期待を寄せている。(一昨年朝日新聞への寄稿)

 

私も全く同感だが、実態は必ずしもそうではない。文化政策のみならず国の政策全般が地方、地域から離れていっているように思える。

 

格差社会の最たるものは、中央と地方ではないか。九州の中山間地域では、65歳以上の高齢者が5割以上の、いわゆる「限界集落」が多数出ている。地方、地域の自助努力が必要なことは言うまでもないが、歴史的に見ても、日本の政治が地方に温かかった時があるだろうか。

 

地域が元気でなければ、国が元気になるはずがない。地方、中央といういい方は好きではないが、地域からの発言、発信が新しい年はますます重要である。

 

西日本新聞は4月17日に創刊130周年の記念日を迎える。「温故知新」の意味をこめ、ふたつの事例を書きとめておきたい。

 

●…地域を見つめる使命

 

岡倉天心が福岡に来たころ、森鴎外は小倉で軍医部長をしており、「我をして九州の富人たらしめれば」との論文を福日に寄稿した。

 

筑豊の炭鉱主たちが金銭を湯水のように散じるのをみて、自分なら学問や芸術のために使うと風刺して覚醒を求めた。炭鉱経営者安川敬一郎が呼応して現在の九州工業大学が生まれた。

 

今に戻って、昨年、わが社の年次企画「検証水俣病50年」シリーズが新聞協会賞と「早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞した。

 

この企画取材には、全体で50人近い記者が参画し、その多くは「水俣病は小学校の教科書で学んだ」という若い記者たちだった。

 

水俣病は、公式確認から半世紀を過ぎた今も「救済」を求め患者認定を申請している被害者は4千人を超えている。

 

地域の問題に終わりはない。その地域を見つめ、分析、検証し活字で報道し続けることが私たちの使命である。

 

新聞づくりは地域づくりだと考えている。

 

ただ・あきしげ▼1935年生まれ 57年西日本新聞入社 経済部長 東京支社長 取締役編集局長 専務取締役営業本部長を経て 2001年代表取締役社長 04年から共同通信社理事会長を務める

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