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イスラム圏初の女性首相 ストレートな姿勢貫いたブットさん(林 路郎)2015年1月

記者がニューデリーに駐在して南アジアを取材していた1995年末、パキスタンのベナジル・ブット首相にインタビューした。来日を控え、イスラマバードの首相官邸で時間を取ってもらった。

 

大きな窓から首都を一望できる応接室に、首相は現れた。

 

イスラム圏初の女性首相は公の場では頭をスカーフで覆っていたが、堂々たる体格、鋭い目、野太い声、一挙手一投足は場の空気を変え、取り巻く年配高官らを走らせる。その様子に目を見張った。

 

オーラと威圧感は、途上国の権力者ならではのものだった。

 

米ハーバード、英オックスフォード両大学卒の学歴は、識字率が3割前後とされたこの国では、特権階級の象徴でもある。「ブット王朝」と呼ばれる名家出身の指導者として、国を率いる使命感も、並々ならぬものだったに違いない。

 

討論では他人の発言を遮り、まくしたてる気の強さを見せた。インタビューで、その片りんがのぞいた。当時、世界中が疑っていた核兵器開発に話が及んだ時だ。

 

「パキスタンは、核心的技術を持っているが、平和目的に限って使ってきた。今後、核兵器製造や核実験、兵器技術輸出などのために使わねばならない日が、決して来ないことを願っている」

 

核保有を目指す信念にも似た決意を述べたのだと感じた。言葉よりも、その語気からだった。

 

パキスタンとインドは、47年に英国から分離独立して以来の宿敵同士である。共存していたヒンズー教徒とイスラム教徒を引き裂いた独立の悲劇や、異教者が支配する隣国への敵視を是とする世論が、長引く国境紛争やテロ、軍拡の背景にある。

 

自国より大きなインドが核を持つなら、パキスタンも後を追うしかない。それが唯一の自衛手段だと、多くの国民が信じていた。

 

インドの国名を発音したあたりで、首相の声は興奮を帯びた。

 

「わが国を核拡散の道へ追いやる国がインドであることを認識せねばならない。インドは、南アジアを救うため、自制すべきだ」

 

核拡散防止条約(NPT)に加盟せず、核兵器開発を進めることを決めたのは、ブット氏の実父であり、首相と大統領を務めた故ズルフィカル・アリだった。

 

父の遺業でもあり、国家事業となった核開発を、首相は日米など友好国の不満を尻目に、北朝鮮にも足を運んで迷わず推進した。

 

シャリフ政権下で、パキスタンがインドの後を追って核実験を強行し、事実上の核保有国となったのは、約2年半後のことだ。

 

パキスタンにとっていま、より深刻な脅威は、インドでも核でもなく、イスラム過激主義と、それがもたらすテロや暴力だろう。

 

公用語のウルドゥー語より英語の方が上手だったブット氏は、台頭するイスラム過激主義の危険に敏感だった。それをストレートに表す戦い方が、命取りになった。

 

過激主義の一掃を公約して政権復帰を図ったブット氏は、2007年12月27日、首都近郊での選挙運動中、何者かの銃弾と自爆テロに襲われ、54歳の生を終えた。

 

アル・カーイダ系テロ組織や、過激派シンパを抱える軍情報部の関与が取りざたされた。けんか腰で敵に挑み、玉砕する。この人らしい最期だと思った。

 

(はやし・みちお 読売新聞社論説委員)

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