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「縁」を紡ぐ経済人 中日本高速顧問・矢野弘典さん(堀 義男)2013年7月

「人生は人縁、時縁、地縁のたまもの」─。中日本高速道路(株)で会長兼最高経営責任者(CEO)を務めた矢野弘典氏(現顧問)の信条だ。識見、経験すべてで劣る私も、「ご縁」という言葉に甘えて時にお目にかかる機会を得ている。


そもそものきっかけは、旧日本道路公団の分割民営化に伴って、同社が発足して間もなく、矢野氏が会長として社内の意識改革に向け、陣頭指揮をしていたころだった。


ある会合の少し離れたテーブルで、悠揚迫らぬ風格とにじみ出る優しさを感じさせる大柄な紳士が談笑していた。そばにいた知人に尋ねると、東芝で欧州会社社長などを歴任、経済界に移って日経連常務理事、経団連専務理事と重責を務め上げたあと、中日本高速の会長職に就いた「矢野さん」とのこと。華麗な経歴にもかかわらず、丁々発止やり取りする姿は真摯かつ謙虚で、尊大な素振りはみじんも感じさせない。


旧道路公団時代に談合問題などで世論の強い批判を受け、「東」や「西」の各社に分割民営化されたなか、首都と中部の両経済圏を結ぶ中日本高速をどうかじ取りし、民間企業として再生を果たすのか─その点での関心も強かったが、なによりも自然とにじみ出る存在感が印象に残り、「話をゆっくり聞く機会がほしい」と願った。


しばらくして設けてもらった席では、遠目からの印象通りの人柄と、予想以上の酒豪ぶりに魅せられた。無論、その際に耳にした話はとても印象的な内容だった。


例えば、中日本高速の社員に・顧客第一・衆知の結集・現場を最重視─という民間企業としての基本姿勢を浸透させるため、自ら現場へ何度でも出かけて社員と徹底的に対話したり、会社の実情把握に努めたりしたとのエピソード。


また、お盆を控えた時期に起きた地震のため、静岡県内で東名高速道路の路肩が一部崩落した際、全社一丸となって仮修復作業を完工。交通量が格段に増えるお盆時期の大渋滞回避につなげた際のリーダーシップ。


一つ一つの話から、中日本高速を民間企業に脱皮させるために精魂を傾ける、経営者としての強い姿勢が伝わってきた。


東芝時代に薫陶を受けた土光敏夫元社長(元経団連会長)の訓示が社員の胸深くに響いたのは、土光氏自身の人格や発せられるオーラが決め手となっていたからだ、との実体験に基づく土光論も興味深かった。


詳細は矢野顧問の著書『青草も燃える』(中経マイウェイ新書)に譲るが、一時代を画した大物財界人である土光氏の軌跡を、本人と直に接した矢野顧問からたどれたことも、私にとって貴重な財産となっている。


ご縁と言えば、昨年6月まで2年間の私の静岡勤務時代、矢野顧問もまた非常勤ながら県関係団体の要職に就任。この間、静岡でご縁を深めただけでなく、県訪問団の一員としてモンゴルに同道し、大草原を進む夜行列車内で「ご縁」を祝してあらためて痛飲したことも懐かしい思い出だ。


矢野顧問は「孫ら家族に『座右の書』である論語を教えている」と顔をほころばせながらも、今もモンゴルやインドとの経済協力関係を含め多くの公職に就き、多忙な日々を送る。それだけに遠慮しなければならないと思いつつ、年に数回は銘酒をお供に素敵なご縁を紡ぎたいと願ってしまう。


ほり・よしお▼時事通信デジタルメディア事業本部長 元産業部長 元静岡総局長
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