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夏の甲子園 取手二vsPL(西田 善夫)2003年7月

名勝負を生んだ“木内マジック”
これは「しゃべれなかった話」である。

監督として甲子園夏春優勝の木内幸男さん(現常総学院・71歳)が先日、今夏の大会を最後に監督勇退の意思表示をした。

昭和59年(1984)夏甲子園、茨城県立取手二高は初めて決勝に進出した。相手は前年度優勝のPL学園。主力の桑田、清原はまだ2年生、取手は全員3年生。「2年生に負けてたまるか」の思いとPL有利のムードにプレッシャーはつのった。

木内監督は前夜のミーティングで「甲子園の決勝と県大会の決勝は天と地の違いがある」と話し始めた。甲子園に来たからこそ、毎晩の食卓にトンカツとステーキがのる。県大会は500円の駅弁だった。選手は天と地の違いを納得する。監督の話は続く。

「今日こうして甲子園で試合ができるのも、県大会の決勝で竜ヶ崎一高に勝ったおかげだ」。選手は「甲子園の決勝が地とは言わないまでも、天下分け目の一戦は県大会で済んだのだ」と思うようになってきた。監督は「旗も2本あるそうだから、取手に帰っても格好がつく。だから明日は気楽にやれ」と結んだ。

決勝の勝敗は別にして、取手に帰ればパレードはある。たとえ旗は小さい準優勝旗でも、主将が手にする旗があれば格好がつく……この話を聞いて全員が全員、眠れたとは思わないが、この八方破れの論法は大きな救いになったに違いない。

翌朝、テレビ担当の私は早めに球場入りした。向こうから手押し車を押した取手の関係者が来た。「おはようございます」と声を掛けて、何気なく「昨日の晩、選手どうでした」と私が聞いた。手押し車が近づいてきた。そして前記の話が聞けた。「いい話を聞きました。おかげで私も眠れました」。

取手二高は選手どころか先生までよく眠ってしまったのだ。いい話だと思った。選手の緊張をほぐす…木内さんならではの話だ。しかし、すぐ間違いに気がついた。旗が2本あるのはセンバツだけで、夏は優勝旗は一本しかない!

普段は7分間のシートノックしかない試合前の練習も、決勝戦は45分の打撃練習ができる。その時間に取材陣が監督を囲む。旗の話を持ち出せば木内さんの人柄がにじむ談話は聞ける。だが紙面に「2本あるから気楽にやれ」「負けても旗がもらえるぞ」と載ると、勝敗によっては「そんなことも知らなかったのか」と監督批判につながる懸念もある。私さえ黙っていればと、話題にしなかった。
 
                                                      ◇

取手の打撃練習が終わり、取材陣全員が3塁側のPLへ移動した。残ったのは私1人。1塁側のダッグアウトの奥にある洗面台の前で木内監督を待った。

来た……監督は顔を洗った。腰のポケットからふっくらしたタオルを出して顔をふこうとした。周りにだれもいない。今だ!「きのうのミーティングで…」と切り出そうとしたが、自分で「待った」をかけた。ミーティングは外に漏れたくない。「だれから聞いた」となると手押し車の先生に迷惑がかかる。話がこんがらかるのを避けたかった。私は言った。

「木内さん、夏は旗1本しかありませんよ」。驚いた監督は思わず「そんなことねえべさ」と茨城弁が出た。「今から何年か前、小山高校が決勝で大負したけど、デッケエ旗持って帰って来たぞ」と言い張る。8年も前、栃木の小山高校は決勝で広島の崇徳高校に5対0で敗れた。私は実況したので覚えていた。

「木内さん、あれ夏でしたっけ?」。しばらく沈黙があった。「うんだ、春だ、あれはセンバツだ…」。分かってくれたことはありがたいが何ともがっかりしている。

木内さんが聞いた。「じゃ西田さん、夏は負けたら何くれんのかい?」「盾ですよ」「盾かい、デッカイケ……」。

人間の心理は面白い。大きな盾というと木内さんが安心してしまう心配があった。「こんなもんですよ」と小さめに手で形を作ると、「そんなんじゃ取手に帰っても格好つかねえな」と言う。「俺は春と夏と勘違いしていたんだな」ともつぶやく。もう顔はふいていた。

監督は急に振り向いて選手の斜め後方から声を掛けた。

「おーい、旗は一本きゃないんだと…」。選手は一斉に振り返った。あいつが何か言ったに違いないと目は私に、それも冷たく集まる。救ってくれるつもりだろう監督は「今、NHKさんに聞いたんだけど、夏は一本きゃねえんだと」。

この一言で私は容疑者から真犯人に変わってしまった。

選手が聞いた。「負けたら何もらえるんだろう」。監督は答えた。「盾だと…」。

選手は親父がマージャンかゴルフでもらってくる小さな盾しか浮かばない。だれかがつぶやいた。「きのう2本あるって言ったよなぁ」。木内さんに聞こえた。「言った。俺は言ったぞ」。

しかられるかと静かになったベンチに監督の声が響いた。「2本あるのは春なんだと。しゃあなかんべ、今は夏なんだから……」。そして続けた。「おい、旗1本きゃないんじゃ、お前たちは勝つっきゃないな」。

選手がどっと笑った。甲子園で試合前にあんな大きな声で笑ったチームは見たことがない。なぜか私は目頭が熱くなった。
 
                                                    ◇

優勝を目前にした取手は9回裏にPLに追いつかれた。あと1回守れば優勝だったのに……。頭を下げてベンチに戻る選手に木内さんは声を掛けた。「お前ら、まだ甲子園でやれんだから良かったじゃないか…」「甲子園で野球をやれる」という目標は同点でも揺らがなかった。

延長10回表、5番中島のスリーランホームランで取手はリード、その裏を守りきって初優勝した。夏の大会で桑田と清原がいたPL学園が敗れたのは、3年間でこの試合だけだった。

旗の話は伝えずじまいだった。実況で語るには中身がありすぎた。


にしだ・よしお会員 1936年生まれ 58年NHK入局 スポーツ放送一筋に歩む 91年スポーツアナでは初めて解説委員を兼務 96年定年退職 W杯決勝戦会場の横浜国際競技場場長を02年秋まで務めた 現在(有)オフィス・ゼン代表取締役
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