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“日本列島改造”のころ(清水 幹夫)2003年8月

二階堂長官のポツリ
「NHKがなァ…」。愛用の葉巻をくわえながら、ふと、口からもれたこんな言葉が妙に気になったのは、激動の1972年も間もなく暮れようとしている12月のことだった。

佐藤内閣での“番記者”を卒業し、2カ所ほど官庁の取材に当たった後、田中内閣発足とともに官邸クラブに戻り、命じられたのが二階堂進・官房長官「番」。長官の私邸に通い詰めていた、ある朝、世間話から始まっていろいろな話題に及んだ後、帰り際の玄関で二階堂長官がタメ息をつくようにつぶやいたのが、冒頭のひとことである。

当時、二階堂氏は東京・飯田橋にほど近い新宿区揚場町の小ぶりのマンションを東京での住まいにしていた。二階堂氏の生家がある大隅半島のほぼ中央、鹿児島県高山町の自宅にも、この年12月初めに行われたばかりの衆院総選挙での現地取材などで何回か出向いたのだが、先祖が鎌倉から薩摩に入った地頭というこの生家、眼下に川が開け、裏山を背にする自然の要塞さながらの重要文化財。当主が帰郷すると裏山に張りめぐらされたぼんぼりに灯がともされる、という。「ウン、鹿児島のこの家に帰ると一番安心するね」と堂々語っていた生家の壮大さに接した後では、この2DKほどのマンションが二階堂長官の住まいとはどうしても結び着かない。

だが、「せっかく来てくれてもなァ、上がってもらう所もないんじゃ」といいながらも、新参の「番」記者を玄関先に招き入れて話に応じてくれたものだ。朝駆けを重ねるうちに、米国に渡った青年時代の壮絶な体験などを聞き出したりしたが、このころ政局の課題は、なんといっても田中政権が日本列島改造論を掲げて登場して以来、全国各地で拍車がかかった地価高騰問題だった。

NHK…と聞いてピンとくるものがあった。当時、千代田区内幸町にあったNHKの本館跡地を、3.3平方メートル当たり1100万円、総額354億6000余万円という超高額で三菱地所が落札、さらなる地価ハネ上がりを予感させるものとして、庶民の話題をさらっていたからだ。

建設省(当時)の地価鑑定委員会による公示価格によれば、このころのビジネス一等地とされたNHK本館の敷地は、3.3平方メートル当たり約450万円。実にその3倍近く、しかも、売り手がNHKという公共機関、落札したのが業界をリードする三菱グループの有力企業。異常な反響を呼んだのも無理はない。

列島改造論でブームをつくった田中内閣の土地政策を、正面から打ち砕くような超高額契約に、二階堂長官が不快感を持たぬはずがなかった。これは何か手を打とうとしているな、というにおいが、ポツリともらしたひとことに感じられたのである。

ただ、すぐには書けなかった。第一、何か手を打とうにも、いくら常識を超えた売買とて現行法規では政府が介入する手段は見当たらない。何をどうするのか。その後、朝駆けのたびに、ひとことだけ聞いた。「NHKはどうなんですかね」と。そして、二階堂長官はどうやら、地価高騰に反発する世論を背景に、NHKと三菱地所の双方に働きかけて、この超高額売買を“白紙還元”させたいと考えていることが分かってきた。

それでも、まだ記事にするのに躊躇した。いくら政府首脳が“圧力”をかけたとしても、白紙還元なぞ出来るものだろうか。世論向けのポーズが狙いで、出来ないと知りつつ、書かせるために漏らしたのではないか、などと勘繰ったりした。結局、この「ひとこと」を懐にしまい込んだまま年は暮れた。

73年が明けると、これは、という動きが相次いだ。NHKの小野副会長(当時)が田中首相を東京・平河町の砂防会館に訪ねたのが1月6日。二階堂長官から金丸建設相、久野郵政相に打つべき手を検討するよう指示が出され、8日にも久野郵政相がNHK幹部から実情を聴取する、との情報…。これは本物だ。ちょうど関係の閣僚ポストを占めていた田中派の役者もそろった。それまでため込んでいたメモを一気にはきだしたのが73年1月7日付、日曜日の朝刊一面トップ記事である。

「NHK跡地の超高額契約、政府“白紙還元”めざす」「官房長官らが説得」「土地政策の試金石に」…見出しだけでも十分に官房長官の狙いが分かる記事になったように思った。「世間は高い高いというが、土地だけでなく、建物の評価も入っている。建物はこのまま5年間はつぶさず、丸ビルの建て替え用に使う」「売却した金は別の形で視聴者に還元する」と両当事者のトップの言い分も書いた。

反応は大きかった。財界首脳といわれた人たちにも白紙化への支援論や政府の介入容認論が出たり、三菱グループ内でもさまざまな対応が語られた。

ところが、この記事は続報が書けなかった。政府の要請にもかかわらず、売買の当事者が応じない以上、やはり、最初から白紙還元は無理だったのである。「政府に介入の権限はない」と二階堂長官が公式の記者会見で繰り返すようになったことが、それを物語っていた。話はいつのまにか、うやむやになった。

2年目に近づいた田中内閣は地価、物価抑制が最大の課題になり、結局、列島改造は条件整備が整う前に土地高騰が全国に波及する惨状に至るのだが、「NHKが…」とうめいた二階堂氏のハラの中は、あらぬ方向に急カーブしていく列島改造論の現実を前に、なんとかして地価抑制へブレーキをかけなければ、という執念であったように思えてならない。単に、ポーズをとっただけの「ひとこと」ではなかったと信じている。

「趣味は田中角栄」という俗説をもつ二階堂氏だが、「忠臣・二階堂」としては、列島改造論が、バラ色の未来ならぬ土地高騰列島へ、みるみる変身していく姿に、我慢がならなかったのにちがいない。

同時に、意外に?庶民的な二階堂氏の知られざる一面が、白紙還元できないかとの発想の底にあったのではないか、との思いもある。郷里に帰れば広壮な屋敷と自然に囲まれる当主も日常的には庶民そのものの、狭いながらも利便な都心の住まいを、どこか楽しんでる雰囲気も感じられたからだ。そして、「我が誠の至らざるを常に尋ぬべし」という西郷隆盛の遺訓をモットーとした愚直さが原点にあった、とも、いま考える。

ともあれ、列島改造は、現今の地価下落など想像も及ばない土地狂想曲の悲喜劇まん延に終わるのだが、その渦中にあって、思わぬ乱流をふさぎ止めようと側近が舞台裏で苦闘した一つの断面として、その取材メモが残っている。


しみず・みきお会員 1939年生まれ 63年毎日新聞入社 東京本社社会部を経て 政治部 政治部副部長 論説委員 政治部長 論説副委員長 論説委員長などを歴任 論説室顧問を経て (社)アジア調査会常務理事 01年から同専務理事・事務局長
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