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ロッキード事件:田中元首相逮捕(山本 祐司)2006年9月

悔恨のロッキード事件報道
田中角栄元首相が逮捕されて30年が経った。検察キャップとして取材を担当したロッキード事件は、時間が経つごとに悔悟がつのる。

でも、それは田中元首相逮捕の取材戦争に負けたことではない。むしろ1976年7月27日の田中逮捕を当日に予告した他の新聞はなく、毎日は「検察重大決意へ 高官逮捕は目前 5億円の流れ突きとめる」と異色の朝刊を作っていたが、このことがかえって私の心を苦しませる。

1976年2月4日、アメリカ上院外交委で火を噴いたロッキード事件は日米をまたにかけた巨大な疑獄。東京地検特捜部は暗黒の帝王・児玉誉士夫の逮捕を長い間狙っていながら、その実態はアメリカ議会の方がよく知っていた。「もし、この捜査に失敗すれば検察の信頼は崩壊する」と特捜検察は必死だった。

その翌日には裏舞台を示唆する毎日新聞の外電があった。「【ワシントン五日】昨年夏ワシントンの上院外交委多国籍小委に、ロッキード航空会社の極秘書類が同社会計事務所から誤送された。これはミステリーだ」

これが事件の発端で、田中元首相の刎頸の友・小佐野賢治、丸紅、全日空の社長らの名がアメリカの議会で出てきた。日本の大物政治家がゾロゾロ登場しそうな恐さがあった。だが、児玉が脳血栓のため逮捕できなかったが、それでも大物政治家が浮かんでいる。

社会部には「ロッキード取材班」に加わる希望者が殺到した。大阪社会部のKは東大空手部副将の猛者記者。上司の部長に「ロッキード事件に大阪社会部が関係しなくていいのですか」と、直談判して東京社会部司法クラブに長期出張した。

彼は夜回りの走行距離も2倍なら、食事も2倍、コーヒーでさえ「ダブルで!」と注文したものだ。彼は打ち合わせの時、言ったものだ。

「山本さん。特ダネとか、他社を考えたらダメでっせ。これだけの事件ですわ。検察の金庫破りをするくらいの意気込みでなければあきまへん。そう、スパイ大作戦ですわ」

この時は知らなかったが、読売大阪社会部OBの大谷昭宏(現・フリージャーナリスト)が月刊雑誌「潮」で打ち明けている。

「Kと私は大阪府警捜査一課の事件記者。すさまじい競争をした。殺人事件の被疑者が勾留期限ギリギリで自供した。私は社会面トップの特ダネと思ったが、毎日にも出ている。
 “そんなアホな”と調べたら、Kが取調室の外の鉄格子にぶら下がり、赤い顔をして刑事が調書を読む声を聞き取った」

Kはのちに編集局長になったが、当時の司法クラブは事件記者だらけだった。100人はいる社会部のほとんどがロッキード事件に関与したが、検察担当はKを含む7人の侍。

真夏の司法記者クラブには眠りこける猛者たち。男臭い汗。これは、私に死体置き場を連想させたが、夜、目を光らす姿には鬼気が迫った。

そして「君モシクハ君ノ仲間ガ殺サレヨウト、当局ハ関知シナイ」という、スパイ大作戦を毎日司法記者は実行した。大物政治家名の極秘調書は東京地検特捜部の奥深い金庫にある。私は発覚したときにそなえて辞表を書いた。

東京地検特捜部は旧庁舎5階にあり夜から未明にかけては検事がいたが早朝には、一階通用口の警備員詰め所を突破すれば、特捜部は無人になる。警備員は新聞を読み、意外に死角を発見した。奇襲は早朝。

4人がチームを組み特捜部のドアを開けるとまたドア。二重廊下になっており、各検事の取調室は鍵がかけてあった。だが、至宝の調書の入手に成功する。検事室は厳重だが、検事室前に置いてあるゴミ箱には、調書の書き損じた紙が多量に捨てられていた。得難い極秘情報の一端だ。スパイ大作戦は強力だが、長く続けられなかった。

大作戦では運び出した調書をストレートに使ってはならない鉄則があるが、私の仲間がミスを犯した。「特捜部は毎日を狙ってくるだろう」と、私たちは警戒。「作戦は他にもあるからドンマイ・ドンマイ」とスパイ大作戦は中止した。

私はロ事件の10年前、検察担当の司法記者になった時、石谷龍生キャップから「逆転の仮説」を徹底的に叩き込まれた経験がある。

「事件はあらゆる可能性を考えなきゃダメ。多くの仮説をつくる。その中で最もありそうもない仮説が現実になった時、特ダネの威力はすさまじい。逆転の仮説で戦うのだ」

当時、特捜部が恐喝などで逮捕した田中彰治代議士は「議員は絶対にやめない。刑務所から立候補してやる」と息まいた。各紙はそれを報じていた。しかし「逆転の仮説」は生きていた。田中彰治は突如国会議員をやめた。主婦連が刑務所に押しかけると聞いて田中は恐怖にかられた。私の10年前の特ダネだった。

私たちはロッキード事件であらゆる手法を使った。が、最も威力を発揮したのは「逆転の仮説」なのだ。

検察の秘密主義は徹底していた。政界大物のうち田中角栄前首相については、直前の田中金脈事件が東京地検の捜査にもかかわらず不発に終わり、田中権力の巨大さから田中にまでは捜査はいかないのではないか、という推測が流れていた。

初夏の夜、最高検検事・伊藤栄樹(のち検事総長)が、裁判所構内を酒のホロ酔い機嫌で歩いていた。彼は少し前、捜査指揮の東京地検次席であり田中金脈不発に批判があった。私は「田中角栄はどうですか」と声をかけた。伊藤は「角栄は絶対許さない」と怒り出した。伊藤はロッキード事件担当ではなかったが検事の気分はよく知っている。

私はとっさに「逆転の仮説」を思った。そうか、狙いは角栄なんだ。検察の角栄恐怖アレルギーは消えていた。私たちは角栄の徹底的な取材に入った。逮捕一カ月前のことだ。

逮捕前日の7月26日、検察幹部は一様に“病気”になった。捜査主任・吉永祐介でさえ、夜回りの記者たちに「腹が痛い。明日は病院に寄ってから役所に出るよ」と言った。この異変は尋常ではない。これこそ最高の「逆転の仮説」ではないか──。

私たちは朝刊一面で「検察重大決意」と書いた。田中角栄前首相と分かるように書いたが、名前は伏せた。毎日の予告通り田中は翌朝に逮捕されたが、私には深い葛藤が残った。

検察は大物政治家を逮捕する時は、必ず事前に任意調べをするのが鉄則だ。昭電事件の芦田均前首相(無罪)。造船事件で与党の佐藤栄作幹事長(指揮権発動)ら多くの人が任意調べを受けたが、角栄にはそれがない。田中角栄の名を出すべきか伏せるべきか──私は迷い、結局、検察の伝統に従ったが検察はそれを無視した。「逆転の発想」を使ったのはマスコミではなく特捜検察そのものだった。

私は検察には完敗したと思った。

もし仮に毎日が事前に田中角栄の名を出していたら、その勢いで、ロッキード事件発覚の時、ロッキード極秘書類がアメリカ上院多国籍小委に誤送されたミステリーへの取材に突っ込んでいただろう。
それこそがアメリカの石油政策に反旗をひるがえした田中角栄に対する謀略の様相が濃いが、時機を失して真相はわからない。ロッキード事件は後悔の多い事件だった。

それにしても戦後日本は「下山事件」「松川事件」「西山事件」「ロッキード事件」と、常にアメリカが加害者、日本が被害者という謀略構図が多いことか─。(文中敬称略)



やまもと・ゆうじ会員 1936年生まれ 61年毎日新聞入社 事件一筋で司法キャップ 東京本社社会部長など 86年脳出血で倒れ右半身不随となったが そのハンディを乗り越え復帰 91年退社 著書に『東京地検特捜部』 『最高裁物語』 『アメリカの正義に惑わされるな』など 最新作は『毎日新聞社会部』 95年度日本記者クラブ賞受賞 
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