ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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OPECからフォークランド紛争まで(蓮見 博昭)2004年2月

ロンドンの特派員体験
ジャーナリスト時代の自慢話になって恐縮だが、会報担当者からのたってのご依頼であり、日本マスコミ界一般の後輩方に多少とも参考になるかもしれないので、書かせていただく。

私は時事通信社に勤務した33年間に米国、ドイツ、英国の合計四都市に特派員として駐在した。そのうちロンドンは比較的最近で期間も四年間と長く、ニュースも多かったので、ロンドンでの経験をいくつか紹介しよう。

●原油値下げ決定を追う

私のロンドン駐在(1979~83年)中、最大の出来事はおそらく、OPEC(石油輸出国機構)の臨時総会(石油相会議)が1983年3月、初めてロンドンで開かれ、史上初の原油値下げ(「値上げ」ではない!バレル当たり5ドル下げて29ドルに)を決定したことだろう。OPEC関係の取材はかねがね、その秘密主義のため記者団泣かせ。しかし、わがロンドン支局は総会のしばらく前から石油関係の重要情報源を確保することに成功していた。

時事通信ではロンドンをはじめ、ニューヨーク、香港などで、日本人ビジネスマンを対象とした会員制の講演会を毎月開いてきた。その講師を探して依頼し、講演会当日その司会をするのが支局長の重要任務の一つである。ロンドンの日本人駐在員諸氏には、石油や中東情勢は大きな関心事なので、私は英国王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)の中東研究員から、米国のあるメジャー石油会社の中東担当重役A氏を紹介してもらった。

彼はアラブ系アメリカ人で、かつてはベイルートに駐在していたが、レバノン紛争でロンドンに移り、必要に応じて現地へ出張していた。気さくな人柄で、時事の歴代ベイルート特派員とも親交があった。サウジアラビア石油省高官とも国際電話などで絶えず情報を交換してツーカーの仲。講演は得意でないと断られたが、われわれの取材への協力は約してくれた。

ちょうどその直後に原油値下げ騒動が持ち上がった。OPEC加盟諸国が値下げ競争を始めて収拾がつかなくなり、OPEC崩壊の危機とまで言われた。その中でA氏は実に的確な情報をつかんでいて、われわれに極秘に提供してくれ、メジャー石油会社の実力に舌を巻いたもの。その情報を適宜記事にして日本各紙の紙面を飾り、ロンドン総会での値下げ決定は確定的という前触れ記事も送信できた。

総会はロンドンのインターコンチネンタル・ホテルで開催されたが、秘密主義のうえ、地元警察の警備が厳重を極め、記者団は同じホテルに泊まり込んで取材に当たったものの、動きがとれない始末。ところが、わが社は、ホテルの自室からA氏に電話すると、総会とその周辺の動きが逐一分かり、大助かりだった。

ロンドンには日本の石油各社の駐在員もかなりいたが、手も足も出ず、「時事さんはどこから、あんな情報を取っているんですか」と驚かれた。その結果、ロンドン支局全員(私を含め六人)が編集局長賞をもらうことができた。海外では日本関係を除くと、ロイターやAPなど国際通信社との競争に勝たねばならないので、特ダネ賞を取るのはかなり難しいことを付け加えさせていただこう。

●留学中の浩宮さまウオッチも

ロンドンでは、浩宮さま(現皇太子殿下)の英国留学もニュースだった。浩宮は83年6月、オックスフォードへ向かう前にロンドンの日本大使公邸に2週間滞在して、エリザベス女王やチャールズ皇太子ご夫妻を訪問、懇談された。その2週間の予定表は大使館から記者団に事前に配られたが、私はそれをよく見て、土・日曜が空欄になっていることに注目した。週末は休養されるに決まっているが、どのような「休養」をされるのかがニュースになるかもしれないと思った。

支局員2人ずつを組にして2台の車にカメラを持って分乗し、土曜日の朝、大使公邸の前に張り込んでもらった。「夜討ち朝駆け」の朝駆けである。浩宮はその前に外出していたが、昼前に帰ってきたところをつかまえることができた。若い大使館員たちとテニスをなさったそうで、それを早速記事にして送信、日本各紙にロンドン時事電を一斉に掲載してもらうことができた。競争二社からは宮内庁詰め記者が随行してきていたが、彼らを出し抜くこともでき、幸いだった。

●〝英軍上陸〟の第一報合戦

また、82年5月にはフォークランド戦争というものもあった。アルゼンチン沖合の大西洋上の孤島、フォークランド諸島の領有権をめぐって英国とアルゼンチンが現地で短期間行った戦闘である。英当局は、フォークランド諸島遠征英軍には一部の英国人記者団しか随行を認めず、われわれ外国人記者団はロンドンの英国防省などで行われるブリーフィングで記事を書くしかなかった。それによるフラストレーションを吹き飛ばす方法はないかと考えたのが、英軍のフォークランド上陸の第一報争いに勝つことだった。

英国防省の広い記者会見場の後ろの壁際には公衆電話がたくさん設置されていて、会見を聞きながら電話で連絡・送稿できるようになっていた。これに目をつけて、そろそろ今日は上陸が発表されそうだと考えられたとき、うちの支局員に会見が始まる直前から支局と電話をつなぎっぱなしにし、上陸が発表されたら、すぐフラッシュを入れてもらった。ロンドン支局と東京本社は専用線で常時つながっていて、リアルタイム。かくして、「英軍上陸」の第一報のロンドン時事電は、当のロイターを抜くこと30分。日本に関する限り一番早かったことになる。ただ、日本時間では夕方で、朝刊の締め切りにはだいぶ時間があり、全国紙にロンドン時事電を大きく載せるわけにはいかなかったが、通信社の役割は十分果たせたと自負している。

●はすみ・ひろあき会員 1933生まれ 56年時事通信入社 ロサンゼルス ニューヨーク ハンブルク各特派員 ロンドン支局長 外経部長 解説委員 出版局長などを務める 八九年から恵泉女学園大学教授 著書に『宗教に揺れるアメリカ』(日本評論社)など
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