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カンボジアの寡黙な運転手(伊藤 暢人)2008年2月

 「ホテル・カンボジアーナまで、行ってもらえますか」。カンボジアの首都、プノンペンの街角でバイクタクシーの運転手にこう声をかけた。排気量125ccのバイクで、後席を大きく改造している。大人3人乗りは当たり前で、子供を入れると家族5人まで乗っているのも見かけた。乗用車の普及率が低いこの国では、バイクタクシーが人々の“足”として活躍している。

  実際、歩いていると、バイクの運転手がうるさいほど声をかけてくる。追い抜きざまに、また向い側の車線からでも、お構いなしだ。どちらかといえば、その猛烈なアプローチに疲れ気味だったのだが、2月下旬といえども30度を超える気温の日で歩き疲れ、さすがにバイクタクシーのお世話になることに決めた。

  何台かをやり過ごし、ふと街角に停車している寡黙そうな中年のドライバーと目が合った。そこで、宿泊先のホテルへ連れて行くように頼んだ。残念ながら英語で。

 ところが、まず市内で最大級という「ホテル・カンボジアーナ」を知らないという素振りだ。地図を出して交渉を続けたが、それでも良く分からないらしい。

  すると、周囲から運転手たちが集まってきた。その数、約10人。誰も英語が分からないようだが、地図を見せながら指先で説明すると、そのうちの1人が「アー、カンボジアナー」と言い出してなんとか伝えられた。

 次に、価格交渉。「1ドルで」と頼むと、全員が「ダメ」という素振り。「1ドルで」と続けても、「とんでもない」という反応だ。そのうち1人の若いドライバーが興奮し始め、「1ドルと半分」というのを身振りで伝えてきた。これだけ人数がいても、1人として値引きして仕事を奪おうというものは出てこなかった。

 残念ながら交渉はまとまり、ずっとニコニコしながら傍観していた、最初のおとなしい中年ドライバーが運転するバイクの後席にまたがった。結果的には自分では何もしなかったこのドライバーが仕事を得たことになる。平均月収は50米ドル余りというカンボジアでは、1.5ドルと言えば小さな金額でもない。外資系企業の進出が本格化し経済がグローバル化するにつれ、貧富の差が拡大し始めている。だが、それでもこうした仕事を奪い合わないところに、この国の別の面における豊かさを感じさせられた。

  人ごみや車列を縫うように走り、ホテルに到着。2ドル手渡すと、この運転手はニコニコしてお金をポケットにしまいこんだ。おつりは出てこない。「ああ、英語が通じないんだった」と再認識するとともに、したたかに生き延びてきたこの国の人々の別の面も垣間見られた。  

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