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ホー・チ・ミンと金日成(与良 正男)2009年9月

 ベトナム建国の父と称されるホー・チ・ミンの遺体が安置されているハノイ市のホー・チ・ミン廟は社会主義国特有の巨大モニュメントである。今回は日程の都合で廟中に入る時間はなかったが、そのすぐ近くに立ってみて、私はかつて北朝鮮・平壌で見た、ばかでかい故・金日成主席の銅像や、実際に上りもした、むやみに高いチュチェ(主体思想)塔を思い出さずにはいられなかった。
 だが、かたやホー・チ・ミン廟は海外からの観光客も含めて行列のできる観光名所。近くの市街地では、これでもかとばかりにクラクションを鳴らしながら二人乗り、三人乗りが当たり前のバイクが次々と押し寄せてくる。一方、チュチェ塔の広大な周辺は今も訪れる人は少なく静まりかえっていることだろう。何よりハノイでは若者たちが平気でベトナム共産党や役人たちの悪口を言うのには「ああ、何という健全さ」と感動さえ覚えたほどだ。

 同じアジアの社会主義国で、旧ソ連や中国と深い関わりを持ち、激しい内戦も経験する共通の歴史を持ちながら、今や経済成長著しく、日本企業もこぞって注目する国と、核を持った犯罪国家。どうしてかくも違う運命をたどったのか。私はそんなことを考えていた。

 ホー・チ・ミンは金日成とは「器」が違うのか。ホー・チ・ミンは生涯独身で、独裁者として跡を継がせるべき息子がいなかったためか(愛人との間に息子がいたとの説もあるが)。ベトナム戦争で勝利する前に死去したため、独裁への道を歩まず済んだということなのか。あるいは民族性の違いなのか。

 結局、解答は今も出ていない。

 「運悪く」というべきだろう。先の六カ国協議がハノイで開催されることが公表されたのは、私たちがハノイを立つその日だった。ベトナムの要人たちと北朝鮮について意見交換をしてみたかったが、それがかなえられなかったのは残念だった。是非、機会を改めて……と思っている。

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