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日本から一番遠い場所へ(中井 良則)2007年2月

 地球で日本から一番遠い場所はどこか。南米パラグアイのエンカルナシオンである。そんな説を知ったのは1993年5月だった。

 軍事独裁が長かったこの国で大統領選挙が行われた。「なにしろ、有権者が初めて体験する自由投票ですよ。南米の民主化を示す大事な選挙です」と売り込んだら、東京のデスクは、メキシコからの出張取材を認めてくれた。当時の人口480万人、アルゼンチンとブラジルとボリビアにはさまれた小さな内陸国を訪れるのは初めてだった。

 首都アスンシオンで日本大使館の人と雑談していた時だと思う。首都から360㌔離れたエンカルナシオンには日本からの移民が多いので領事館を置いている。「あそこは、東京から赴任する日数が最もかかる在外公館なんでねえ」という。「え、でもアフリカにもっと遠い場所があるでしょ」と頭の中で地球儀をぐるぐる回してみた。

 「いやあ、日本からアメリカに行って飛行機を乗り換えて、ここアスンシオンまで来て、一泊して、車で行くんだから。日本から一番遠いんですよ」「飛行機は飛んでないんですか」「飛んでません」。

 赴任日数として外務省が何日分を認めているのか、忘れてしまったが、アスンシオンまでメキシコ市からの直行便がなく、マイアミ、サンパウロと乗り継いでたどり着いた身には「遠さ」が実感できた。(領事館はその後「出張駐在官事務所」に変わったので、現在、常駐はしていない)

 「行ってみたいねえ、エンカルナシオン」「地方の選挙情勢取材、という目的だな」「でも帰ってこれるかなあ、飛行機もないし」「一番遠い場所かあ」

 他社の記者と話しているうち、盛り上がってきた。中南米をカバーする特派員はだいたい各社1人。出張先で出会うと、互いに特ダネを警戒しつつ、メシや酒をともにする。セスナ機をチャーターすれば日帰りができる、と耳寄りな情報をだれかが仕入れた。値段も高くない。投票の前日は「省察の日」といって選挙運動は禁止され、首都にいても取材になるまい。よし、衆議一決。投票日(5月9日)前日の土曜日に日帰りしよう。

 朝早く、アスンシオンの空港の片隅に集まったのは4人。セスナに乗り込んだ。南東へゆっくり低空を飛んで、着陸したのは長細い原っぱだ。だれもいない。パイロットは「夕方、迎えに来るよ。6時には日が暮れちゃうし、有視界飛行だから暗いと飛べないんだ。5時には出発しなきゃ。5時だ」と帰っていく。

 エンカルナシオンは人口7万人でパラグアイ第三の都市。パラナ川の向こうはアルゼンチンだ。中心部に行って、日系人協会を訪ね苦労話を聞いた。

 ここまで来た以上、私にはぜひ、行ってみたい場所があった。かつてイエズス会が伝道のため、このあたりに建設した布教村「レドゥクシオン」の遺跡だ。ロバート・デニーロとジェレミー・アイアンズが主演した映画「ミッション」(ローランド・ジョフェ監督、1986年)の舞台である。イエズス会が先住民グアラニをカトリックに教化し、教会を中心に村を作って住まわせた。パラナ川周辺のパラグアイ、アルゼンチン、ブラジルに計約60カ所作られ、パラグアイでは7か所が遺跡として残っている。

 エンカルナシオンの近くにある「トリニダー・デル・パラナ」を訪れた。観光客も来ないのか、ほとんどだれもいない。青空の下、広い敷地に石造りの大きな教会や学校、住居が崩れ、かろうじて残っている。イエズス会士たちがヨーロッパから遠く離れた南米で宣教にかけた強い使命感。カトリックの教えを受け止めたグアラニの思い。さまざまな夢と記憶がこの土地にしみ込んでいる。

 いま、調べなおしてみると、このトリニダー遺跡は私たちが訪れた1993年、ユネスコの世界文化遺産に指定されている。レドゥクシオンは17世紀初めから約150年間、存続した。1744年には先住民計8万4000人が30カ所に住んでいた、というイエズス会の調査記録が残る。スペイン本国の支配を脱した独立の宗教共同体として運営された、とされる。1767年、イエズス会はスペイン帝国から追放され、レドゥクシオンは地上から消えた。宣教師はヨーロッパに帰り、先住民は森に戻った。グアラニはパラグアイ人口の1%しか残っていない。ただメスティソ(混血)が97%を占める。グアラニ語はスペイン語とともに公用語となり、ほとんどの人がバイリンガルだ。グアラニ語は母のことばだから滅びなかった、という。

 遺跡で時間を食い、急いで、車に乗り朝の原っぱに向かった。

 「何時まで戻るんだっけ」「5時とかいってたな」「もう過ぎてるよ」「大丈夫だよ、待ってくれてるよ」。のんきに話しながら原っぱに近づく。頭上をセスナ機が飛び去る。「まさか、あれがおれたちの飛行機だったりしてね」。笑いながら着いた原っぱの滑走路にセスナ機はなかった。まさかが本当になってしまった。日が落ちた。きょう中に首都に帰らなければ、あしたの選挙の記事が送れない。

 町に戻って、タクシーを探す。なぜか、みないやがる。やっと日系人の運転手が応じてくれた。

 国道1号というから幹線道路だろう。だが照明はない。町の灯も見えない。前にも後ろにも他の車はない。南米大陸の奥の真っ暗な道を1台だけで走る。やはり、ここが日本から一番遠い場所か。旅人らしい寂寥感。運転手が「長いから、なにか聞きますか」とカセットテープをかけた。席からずり落ちそうになった。流れてきたのは都はるみの演歌だった。(2007年2月記)
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