2021年09月08日 11:00 〜 12:30 オンライン開催
「首都直下地震への備え」(2) 関東大震災からの教訓 武村雅之・名古屋大学特任教授

会見メモ

関東大震災について重ねてきた武村雅之・名古屋大学特任教授が、震災後の「帝都復興」と戦後の東京復興、今に続く都市開発を対比し、戦後の開発には防災の視点が欠けていたと指摘。東京の現状について警鐘を鳴らした。

 

司会 黒沢大陸 日本記者クラブ企画委員(朝日新聞)

 

名大減災連携研究センター「武村雅之の研究紹介」


会見リポート

災害を生む「とりあえず」の復興

鎮目 宰司 (共同通信社科学部次長)

 大地震に繰り返し見舞われてきた東京。武村雅之氏は、1923年の関東大震災後に復興事業として整備された幹線道路や公園などの「遺産」が今も都民の生活を支えていると指摘する。

 だが、厳しい区画整理が行われた東京市(当時)とは対照的に郊外の町村は無計画に開発され、大東京市誕生による編入を経て現在の「木造住宅密集地域」を生んだ。都心部もその後の戦災復興などで高速道路や高層ビルが無秩序に広がる街に改造された結果、東京は弱点の多い危険な都市となってしまった。

 70万都市の江戸を襲った1703年の元禄地震では死者340人とされるが、関東大震災の6万9千人に比べて少なすぎると疑問視されてきた。大正の市民は220万人。だが、元禄の頃には人が住まない湿地帯だった本所や深川に工場や住宅が広がり、大被害が生じた関東大震災の死者が「多すぎ」だったのだ。

 内相や帝都復興院総裁を務めた後藤新平が提唱した復興計画は規模を大幅に縮小したが、幹線道路や橋、学校、公園の整備、そして後の地下鉄建設にもつながる成果を生んだ。

 数十年後、日本が独立を失う混乱の中で始まった戦後の復興は目先の利益を優先するイベント主義で、災害を生む最大要因の「とりあえず」という無責任な考え方を助長した。火事に弱い木密地域、水害に弱いゼロメーター地帯、林立する高層ビル、孤立しやすい湾岸埋め立て地といった弱点を、これ以上増やすことは避けなければならない。関東大震災後に「この際だからいい街をつくろう」と我慢しあった先人たちの姿勢を見習うべきではないか。

 武村氏は「高層ビルも木造住宅も個々はそれなりに丈夫に造られていても、密集すると災害時に何が起きるか分からない。人口も減少する時代。震災が来る前から東京の復興を考えることも必要だ」と訴えた。


ゲスト / Guest

  • 武村雅之 / TAKEMURA Masayuki

    名古屋大学減災連携研究センター特任教授 / visiting professor, Nagoya University

研究テーマ:首都直下地震への備え

研究会回数:2

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