会見リポート
2019年04月10日
15:30 〜 17:00
10階ホール
「平成とは何だったのか」(20) 平成金融危機 東郷重興・元日本債券信用銀行頭取
会見メモ
日債銀頭取を務めた東郷さんは「国策捜査」により逮捕・起訴され、12年間の法廷闘争を経て無罪となった。バブル後の日本の金融危機、リーマンショックに端を発する世界の金融危機について語った。
司会 福本容子 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)
会見リポート
恨みがましさ見せず
谷 定文 (ニッポンドットコム常務理事編集局長)
平成は金融危機の30年間だった。ゲストは、その渦中に放り込まれて人生を大きく狂わされた。
東郷氏は日銀の国際畑を歩んだエリート。請われて経営難に陥っていた日本債券信用銀行に移り、1997年に頭取に就任。翌98年12月に同行は破綻し、国有化された。99年7月、旧大蔵省出身の窪田弘氏(元日債銀頭取・会長)らとともに、不良債権額を過少に記載したとして証券取引法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕され、一審、二審でいずれも執行猶予付きの有罪判決が下された。その後、最高裁が差し戻して無罪が確定したのは2011年のことだった。
逮捕から潔白が証明されるまで12年。その「生の話」を聞きたくて足を運んだ会員も多かっただろう。しかし、野次馬的な期待はある意味で裏切られた。動乱の平成金融史を淡々と分析した語り口は、自身の逮捕にまで触れたにもかかわらず、他人事のようにも聞こえた。
会見で再三にわたり強調したのは、日本の金融機関経営者の「肝っ玉がちまい」こと。特に橋本龍太郎首相(当時)が98年、貸し渋り解消を目的に公的資金を注入しようとしたのに対し、大銀行の頭取たちが各行1000億円の受け入れにとどめた横並び体質を厳しく批判した。一方で、行政の責任については「行政はそれなりにやってくれた」などと甘めの評価だった。
バブル崩壊後の90年代後半、金融界は何が起きてもおかしくない状況にあった。中でも日債銀の経営は危ぶまれていた。バブル期に無理な融資を積み上げた結果、不良債権を膨らませていたからだ。日債銀破綻の原因を作ったのは、最終盤に登板した東郷氏らでなく、それ以前の経営陣だった。
彼らの責任について問われての答えは「時効でしたから」。法律上はその通りだが、刑事被告人として過ごした日々を心の中で整理できているのだろうか。それとも、これがセントラルバンカーとしての矜持なのだろうか。
ゲスト / Guest
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東郷重興 / Shigeoki Togo
研究テーマ:平成とは何だったのか
研究会回数:20