2018年05月11日 18:00 〜 19:30 10階ホール
「被害者報道を考える」(3)川名壮志・毎日新聞社会部記者

会見メモ

2004年6月、長崎県佐世保市の小学校で、6年生の女子児童が同級生の女子をカッターナイフで殺害した。被害者の父親は、毎日新聞佐世保支局長だった。当時、同支局の記者だった川名記者が、被害者家族の苦しみを間近で見ながら取材にあたった葛藤、被害者との向き合い方について語った。

『謝るなら、いつでもおいで』(集英社)

 

司会 瀬口晴義 日本記者クラブ企画委員(東京新聞)

 

YouTube会見動画

会見詳録


会見リポート

距離と関係性に悩みながら

林 恒樹 (朝日新聞社ジャーナリスト学校記者教育担当部長)

 親しく接していた人が事件に巻き込まれたときの痛みは、記者であっても変わらない。川名さんにとって、被害少女の父は仕事の上司というだけではなかった。一家は支局があるビルの上の階で暮らしていて、しばしば自宅に招かれて夕飯をともにする間柄だったという。

 にもかかわらず、一家に寄り添うのではなく、記事を書く側に回ろうとする自分は、「ひとでなしに成り下がったと思っていました」。川名さんを気遣った先輩の「いいかげんな報道で被害者を二度殺すわけにはいかんのやぞ。お前が正確な報道をしろ」という励ましを背に取材を続けたものの、いまになって振り返ると、先輩の言葉にしがみついていたように感じるという。

 「思い込むものがあると心が折れない。あまりに近い人の話だったので、悲しみに引きずり込まれないようにと、必死だったんだと思います」。淡々とした口調で、てらいなく語る言葉からは、当時の葛藤や悩みの深さが伝わってきた。

 親しい人が関係している事件では、取材相手との間合いの取り方も一層難しくなる。一歩間違えると、メディアは加害者になってしまう。距離感に悩みながら、被害者の兄や、加害者の父を取材するなかで痛感したのは、どれだけ親しい人の事件であっても、記者の自分は他人に過ぎないということだったという。

 だが、他人だから話せることがあるし、質問に答えることで考えが整理されることもある。やり取りを繰り返すなかで、隠れていた問題が浮き彫りになることだってある。どこまで踏み込むのか、距離と関係性に悩みながら、被害者を取材する意味がそこにある。

 「被害者を取材すると、言葉の強さにたじろぎ、驚くことがある。人の心に届く言葉に出会うには、現場に行くことが必要だ」という指摘には、深く納得させられた。


ゲスト / Guest

  • 川名壮志 / Soji Kawana

    日本 / Japan

    毎日新聞社会部記者 / Writer, The Mainichi Shimbun

研究テーマ:被害者報道を考える

研究会回数:3

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