2017年05月19日 16:00 〜 17:00 10階ホール
ヴァシュチコフスキ ポーランド外相 会見

会見メモ

司会 鶴原徹也 日本記者クラブ企画委員(読売新聞)

通訳 西村好美(サイマル・インターナショナル)


会見リポート

日本とポーランド、歴史に学ぼう

松尾 圭介 (時事通信社外信部編集委員)

ポーランドのヴァシュチコフスキ外相は1955年生まれ。冷戦の合間の雪解け時代に幼少期を過ごし、自主管理労組「連帯」のストが始まった1980年、ワルシャワ近郊のウッチ大学歴史学部を卒業した。大学に残って歴史学者の修行を続けていたが、80年代後半から米国の大学へ留学。その間に祖国は「社会主義圏初の非共産政権」を誕生させるに至り、帰国した1992年に外務省入り。外交官生活をスタートさせた。

 

今回は「日本とポーランド国交回復60周年」での来日という位置付けだった。歴史学者らしく記者会見でも日露戦争中の1904年、ユゼフ・ピウスツキ(1867~1935年)が来日し、ロシアと戦う日本に、ポーランド独立支援を要請していた歴史を取り上げた。ピウスツキは第1次大戦後、独立したポーランドを率いた。兄ブロニスワフはアイヌ研究で知られる。

 

ウクライナ情勢を受けた外相の危機意識は非常に強い。しかし「何も今、ポーランドと日本で軍事協力をしたいと言っているのではない。遠く離れていても、政治の想像力を働かせよう」と語り、広い視野をもって日本と関わり続けた先人に学ぶ意義を強調した。

 

直近の現代史に立ち戻って外相が振り返る欧州情勢の認識はとても厳しい。2007年2月、ロシアのプーチン大統領は独南部ミュンヘンでの安全保障会議で「米国はさまざまな問題で、国境を踏み越えてきた。問題を一方的に軍事力で解決しようとしている」と激しい対米批判を行った。外相は「ここで世界は目を覚ますべきだった」と訴えた。

 

実はポーランドと日本は、ピウスツキが活躍した1919年に一度国交を樹立している。第2次大戦を挟み1957年に国交を回復させた歴史がある。再来年は国交100周年。2年後、外相の評価がさらに厳しくなっていないことを願いたい。


ゲスト / Guest

  • ヴィトルド・ヴァシュチコフスキ / Dr. Witold Waszczykowski

    ポーランド / Poland

    外相 / Foreign Minister

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