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東電福島第1原発/廃炉の道のり 依然遠く/デブリ取り出し 進展が鍵(辺見 祐介 福島民友新聞社東京支社報道部主任)2026年3月

 東京電力福島第1原発事故から15年となるが、福島県の復興は途上だ。今も約2万4千人が古里を離れ避難先に身を寄せている。除染で出た東京ドーム11杯分に上る大量の土は被災地に置かれたままで、原発周辺の7市町村に残る帰還困難区域は自由に出入りできない。県産品への風評も根強く、海外では5カ国・地域が輸入規制を続けている。復興へ向かう先に横たわるおよそ全ての課題は事故に起因する。

 被災地は「復興の大前提」として廃炉の進展を政府、東電に求め続けてきた。現状はどうか。原発敷地内では除染が進み、全体の96%が防護服が不要の「グリーンゾーン」となった。2012年秋に初めて原発を視察した際は防護服の着用が必須で、頭部を圧迫するマスクの苦痛と闘いながら取材したのを覚えている。線量計が高線量を感知し警報音を発するたびに身がすくみ、目を向けたあちこちにがれきが散乱していた。当時と比べれば、廃炉に向けた作業環境は大きく改善している。

 ただ、実現への道のりは依然として遠い。1~3号機に計880㌧あるとされる溶け落ちた核燃料(デブリ)が最大の壁だ。限られたスペースの中で、人が近づけば死に至るほどの放射線を出すデブリを取り出せるかが成否を左右する。

 

「確実な一歩」「わずか1㌘」

 政府は19年12月、事故収束と廃炉に向けた工程表「中長期ロードマップ」で、2号機で試験的な取り出しを始める方針を明記。水素爆発を起こさなかった2号機は、爆発で建屋の一部が壊れた1、3号機と比べて放射性物質を閉じ込める機能が高いためだ。初回の24年11月に0・7㌘、2回目の25年4月に0・2㌘を回収した。

 日本原子力研究開発機構(JAEA)などは回収物の分析を進めている。既に人の力で砕けるほどの硬さであることが判明するなど、科学者らは今後の本格的な取り出しに向けた知見に役立つと期待し「廃炉への確実な一歩」と自負する。一方で、一日も早い廃炉の完了を望む被災地では「わずか1㌘」と落胆する住民も少なくない。

 ロードマップの完了目標はずれ込む事例が相次いでいる。2回にわたる試験的取り出しも、当初は21年の開始予定が、装置の開発遅れなどで計3度の計画延期を繰り返した。東電が3号機から始める本格的な取り出しは30年代初頭の着手を想定したが、設備の設計や内部調査などの準備に時間を要するとし、37年度以降の開始に方針を改めた。

 

厳しい目を向け続ける必要

 政府、東電は51年までに廃炉を完了させる計画だが、メディアの論調を含め目標を危ぶむ声は強まりつつある。復興に関わる識者はデブリの取り出しに「170年程度はかかる」と試算する。それでも、被災地では「51年廃炉完了」の目標は堅持するべきとの意見が目立つ。期限の延長は復興の遅れに直結することや、「時間的な余裕が生まれれば、東電側は廃炉を急ぐ姿勢に真剣味を欠く」との懸念が背景にある。

 政府は原発を最大限に活用する政策に転じた。東電は今年1月に柏崎刈羽原発6号機(新潟県)を再稼働させたが、不安は拭えない。これまで廃炉作業の現場を含めトラブルを繰り返してきたからだ。かつて原発を担当していた先輩記者は事故直後に「原子炉建屋は何が起きても壊れないと、東電の言い分を信じ切っていた」と猛省した。過酷事故が起きれば、その影響は半永久的に続く。メディアも原子力を巡る電力事業者の姿勢に厳しい目を向け続けることが、安全を守る力となる。

 

へんみ・ゆうすけ▼2005年入社 報道部 南会津支局長 ふたば支局長を経て 22年4月から現職

 

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