取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
河北新報 写真企画「逢いたい」/行方不明者 家族の思い/じっくり耳傾け 姿伝える(佐々木 浩明 河北新報社編集委員)2026年3月
東日本大震災発生から15年。時間の捉え方は人それぞれだが、行方不明者の家族にとってはたいへん重い歳月だったに違いない。行方不明者は今年1月時点で2519人。帰らぬ人を待つ家族の思いに迫りたい。河北新報朝刊で2月から週に1回、写真連載企画「『逢いたい』~東日本大震災15年 行方不明者家族~」を始めた。11組の家族を4月まで紹介する予定になっている。
企画するきっかけとなった出来事があった。岩手県山田町の当時6歳だった女児が、約100㌔離れた宮城県南三陸町の海岸で見つかり、昨年10月におよそ14年7カ月ぶりに遺族の元に帰ることができた。母親は「喜び半分、こんな形でという寂しさ半分」と語り、遺骨の入った骨壺に頰ずりした。父親は「やっと家に連れて帰れる」と目頭を押さえた。歯の鑑定やDNA検査、遺伝子検査の最先端技術を組み合わせた科学捜査で特定できた。この数年、発見されることの少ない行方不明者。早く帰ってきてほしいと願う家族にとって、一筋の光明となるニュースだった。
「曖昧な喪失感」を抱いて
連載は昨年暮れから準備を進め、岩手、宮城、福島の被災3県で取材協力してもらえる家族を探した。「この人はどうか」と取材を申し込んでも「親の介護で忙しい」「取材はもういい」などと断られることもあった。それでも被災地の新聞社として、これまで積み上げた記者一人一人のつながりに助けられた。紙面で初めて紹介する人も加えて、取り上げる行方不明者家族が固まった。
帰りを待つ家族の共通点は、「曖昧な喪失感」を抱いているということだ。「ほんとうに亡くなったのか?」「無人島に流れ着いてひょっこり現れるかも」。さよならも言わずにいなくなってしまった大切なあの人はどこに―。亡くなった実感を持てないまま、親戚などに促されるままに空の骨壺で葬儀を挙げた家族が多い。区切りにならない区切りに、亡くなったことを受け入れることに今も胸中は複雑だ。「15年たったからもういいんじゃないか」。慰めと思ってかけた何気ない周囲からの言葉に、傷付くこともあると取材で聞いた。
2月1日付の初回に掲載された夫婦が、9歳だった長女を捜す現場に立ち会った。児童と教職員84人が津波の犠牲になった宮城県石巻市立大川小の4年生だった。海岸の砂浜で冷たい潮風を受けながら、凍える手でスコップやレーキを持ち手がかりを捜す。小さな破片はもしかしたら娘の歯や骨かもしれない。見逃さないように細心の注意を払って作業する。母親は手がかりが見つからず、「きょうもまた、娘を置いて帰るのか」と申し訳ない気持ちでいっぱいになると語った。震災発生時から変わらぬ気持ちは、行方不明者の家族みんな一緒なのだと感じた。一方で変わったのは海岸線。漁港が復旧し巨大防潮堤も完成、捜索できる場所はめっきり減った。
家族と読者と被災地の15年
行方不明者家族の思いを、どのように写真で表すのか。写真映像部の取材班4人で話し合いながら、取材を進めている。心がけるのは話にじっくりと耳を傾けること。奇をてらった表現にならなくてもいい。長い間抱えてきた家族の思いに寄り添う写真に、テクニックを駆使したり派手さを求めたりする必要はない。淡々とその姿を収めることにより、家族が抱いてきた思いは伝わるはず。写真を見て、記事を読み、そしてまた写真に見入る。行方不明者家族の人生と、読者の人生を重ね合わせ、震災から15年となる被災地に思いをはせてもらえたら、と思っている。
ささき・ひろあき▼1990年入社 写真部 写真映像部を経て 2024年4月から現職
