取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
王力雄さん 中国 反体制派作家/感染症の悲劇 小説で予見(中澤 穣)2025年3月
2022年に北京赴任を終えて帰国する前、王力雄氏にもう一度取材できなかったことが心残りだ。「もうしわけない。今は都合が悪い」。取材申し込みには短い返答しかなく、王氏の置かれた難しい状況を推測するしかない。
王氏は中国を代表する反体制派作家だ。漢族としては珍しく、ウイグル族など少数民族の苦境に心を寄せる特異な存在でもある。チベット族の妻ツェリン・オーセルさんとともに言論活動が厳しく制限されている。1990年代から中国国内での出版ができない。「販売会もサイン会もない。読者の反応を直接聞く機会がないのはとてもさびしい」と苦笑する。夫婦ともに出国が許されず、「安全の観点からも国外で生活したいが、それもできない」と語った。
ただ私が取材できたように、19年ごろは海外メディアでの発信などはある程度、許容されていたようだ。王氏は「国内で私の存在は知られていない。国内での影響力がほとんどないから、当局も放置しているのではないか」と自嘲気味に話した。
しかし1970年代末から中国の民主化運動に関わり、一貫して国内にとどまる王氏の言葉は私にはとても重く響いた。多くの反体制派知識人が国外に逃れざるを得ない状況であり、王氏は「国内から中国の変化をみるのは得がたい機会でもある」とも話した。
■天安門事件 あしき転換点
初めての取材は、89年の天安門事件から30年の節目を控えた時期でもあった。事件当時、広場に集まった学生たちより少し上の世代だった王氏の分析は、学生らに寄り添いながらも冷静だ。「学生たちは極端に走り、スローガンの過激さを競っていた。理性的な声は無視された」「もちろん応援していたが、中国の民主や政治にとってよくない転換点になりかねないと危惧していた」。現実は周知の通りだ。私のつたない事件30年の連載は、王氏のカギカッコがなければ書けなかったと思う。
王氏は中国の統治機構が崩壊し、世界が混乱に巻き込まれる未来を描くディストピア小説で知られる。19年に翻訳が出版された『セレモニー』(藤原書店)は、パンデミックに襲われる中国の近未来を驚くほど正確に予見した。共産党政権が最先端技術を駆使した監視システムを築き上げ、パンデミックを機に独裁体制をさらに盤石にする―というプロットは、現実が小説を追いかけているかのようだ。なお、小説ではその後、役人たちの野心や自己保身、コンプレックスなどが絡み合い、独裁体制がほころびていく。
■ガラス瓶に入った13憶の砂
独裁体制の崩壊は『黄禍』(集広舎)でも描かれた。王氏は中国を「ガラス瓶に入った13億の砂」にたとえ、「砂が瓶を割ることはできないが、外からの圧力には弱い。ガラスは硬くても粘り強さがなく、いったんひびがはいれば簡単に割れる」と語る。独裁色を強める共産党政権にとって、こうした分析が以前にもまして刺激的であることは容易に想像がつく。
残念ながらコロナ禍以降は取材の機会が得られなかった。最後に会ったのは上海のカフェ。別れ際に握手したときの穏やかな笑顔が印象に残る。パンデミックの悲劇を予見した王氏はコロナ後の中国をどうみるのか、その次の未来をいかに描くのか。王氏の言葉をまた聞ける日がくると信じたい。
(なかざわ・みのる 2003年中日新聞社入社 横浜総局 社会部 中国総局長など 現在 東京新聞政治部)