ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


リレーエッセー「私が会ったあの人」 の記事一覧に戻る

コワレンコさん ウクライナ軍兵士/忘れられない後ろ姿(鈴木 一生)2025年2月

 2年前の2023年2月下旬、ウクライナの首都キーウにある民間のリハビリ施設を訪れた。ロシアによる侵攻が始まってからちょうど1年が経過しようとしたころだ。小規模なスポーツジムのような施設で、戦闘で負傷したウクライナ軍兵士がリハビリに励んでいた。

 驚いたのは、兵士らがSNS(ネット交流サービス)で流れる戦場の様子を談笑しながら見たり、自身が撮影した戦闘時の映像を見せ合ったりしていたことだ。腕や脚のない兵士もいる。自分が負傷したらそんな映像は直視できないのではないかと思い、異様な雰囲気を感じた。

 そんな施設の片隅で33歳のパブロ・コワレンコさんがベッドにあおむけになり、左脚の筋力トレーニングに励んでいた。右脚は付け根近くから切断されている。話しかけると丁寧に取材に応じてくれた。

 2014年にウクライナ軍に入隊したコワレンコさん。それ以降、東部ドネツク州などで親露派武装勢力と戦ってきた。ロシアの侵攻開始から約2カ月半後、コワレンコさんのチーム6人は司令部からあるミッションを命じられた。

 

■絶望的「特攻」で右脚失う

 

 東部ルガンスク州の街に取り残されたウクライナ軍兵士約120人の救出のために街中に入り、ロシア軍の注意を引きつける。「絶望的な『特攻』だった」。街にもぐり込み銃撃を始めたが、反撃にあってすぐに6人全員が負傷した。コワレンコさんもロシア軍の歩兵戦闘車の砲撃で右脚のほとんどを吹き飛ばされた。作戦に呼応した120人が攻撃を開始し、なんとか大半が街から抜け出すことに成功。コワレンコさんも助け出されたが、二度と前線に戻れない体となった。

 

■負傷した帰還兵 心にも傷

 

 戦闘の詳細をよどみなく説明していたコワレンコさんが突然に手で顔を覆い、涙を流し始めた。「正直に言うと、普通の市民生活に戻るのが怖い。社会は自分を必要としているのだろうか。私の心はまだ前線にある」。施設によると、負傷した帰還兵の多くは精神的に戦場に居続けている状態にあり、心と体を一致させることが難しいという。

 落ち着きを取り戻したコワレンコさんが家族について話し出した。妻、7歳の長男、5歳の長女の家族4人で平和に暮らすことが唯一の願いと笑顔を見せ、ウェブサイトの開発者になるためにプログラミングと英語の勉強を始めているという。義足を付けてベッドから立ち上がったコワレンコさんは託すようにこう言った。「日本のウクライナ支援には感謝している。ウクライナの未来も見守ってほしい」

 今年2月、侵攻開始から丸3年。1年前の2024年にウクライナを再訪した際は若者らにえん戦気分が広がっているのに驚いた。「大統領なら24時間以内に戦争を終わらせる」と豪語したトランプ米大統領の再選を「最後の望み」と表現する若者もいた。激戦地の東部ドネツク州を歩くと中年の兵士が目立ち、疲れ切っていた。

 ウクライナ支援に懐疑的なトランプ政権が誕生した今年はウクライナにとってどんな年になるのか。取材の終わりにそっと私の肩に手を置いた後、両手でつえをついて立ち去ったコワレンコさんの後ろ姿が忘れられない。

 

(すずき・いっせい 2004年毎日新聞社入社 東京社会部 福岡報道部 外信部兼政治部 ワシントン支局などを経て 現在 横浜支局デスク)

前へ 2025年05月 次へ
27
28
29
30
1
2
3
4
5
6
7
10
11
12
17
18
24
25
31
ページのTOPへ