ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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田中秀征さん 元経済企画庁長官/時代を見る目、草莽の心(廣田 孝明)2025年1月

 新型コロナウイルスが猛威を振るっていた2020年9月、東京・神田の喫茶店で田中秀征さんを囲む読書会が立ち上がった。記者数人のこぢんまりとした会で、課題書籍を読んだ上で田中さんの意見を聞く形式だった。初回は幾分緊張して参加したのを覚えている。だが、田中さんはざっくばらんで偉ぶらず、テレビで見てきた姿と変わらなかった。

 

菅政権の早期破綻を予見

 

 翌10月の第2回では、発足間もない菅義偉政権で問題になっていた日本学術会議の会員任命拒否を念頭に、「政権は早々に破綻する可能性がある」と指摘した。「騒ぎを予見して進言する人物がいないのか。周囲にしっかりと支える力がない」といぶかったが、懸念通り、菅内閣は党内運営に行き詰まって1年後に総辞職した。

 田中さんは細川護熙内閣で首相特別補佐、橋本龍太郎内閣で経済企画庁長官を務めた経験を持つ。平成政治史を生きた政治家であり、政界から退いた後もその趨勢をつぶさに見てきた。北海道から東京に出て数年足らずのにわか政治記者にとって、その蓄積と感覚に触れる経験は貴重だった。

 最近あらためて光が当てられることの多い石橋湛山元首相についてもよく言及があった。

 田中さんは、湛山の一番弟子と言われた石田博英元官房長官の秘書を務めた経歴を持ち、いわば孫弟子に当たる。ジャーナリストから政治家に転身した湛山は言論を重視し、連合国軍総司令部(GHQ)との対立もいとわなかった。思想に裏打ちされた強い姿勢は、政治理念を掲げて「新党さきがけ」の立ち上げをけん引した田中さんの姿と重なる。著書『日本リベラルと石橋湛山』や最近出版された共著の『石橋湛山を語る』にもその心を見て取れる。

 

若輩記者の話にも耳を傾け

 

 田中さんはしばしば湛山の示した「小日本主義」を引用する。「資源が少なく、国土が狭い」中にあっても「学問技術と産業」で世界に貢献する道はあるとの考えだ。わたしは21年夏にワシントン支局に赴任し、その後はオンラインで会に参加した。読書会は米軍のアフガニスタン撤退、ロシアのウクライナ侵攻など、時機を捉えたテーマも多く、そこにはいつも「日本」との比較や立ち位置を問う視点があった。日本を考える指針を示された気がした。

 自社さ連立政権発足の裏話や、故郷・長野県から政治家を志した経緯、近現代政治や国際情勢に至るまで、話題は幅広く、尽きることはなかった。21年春には一緒に東京・調布の深大寺に花見に出向き、江戸時代から伝わる名産のそばの味を教えてもらったこともある。多くのことに興味を持ち、われわれ若輩記者の話にもよく耳を傾けてくれた。

 24年の年頭、田中さんから受け取ったメッセージには、「日本は明治維新や太平洋戦争終戦を上回る構造変化に突入した感じだ」と記されていた。言葉通り、国内外の情勢は激動の渦にのみ込まれている。読書会の発足に奔走した友人記者は、田中さんの著書の一節から会を「草莽会」と名付けた。「草莽」とは在野で志を持ち、大きな物事を成し遂げようとする人々を指す。その1人になれるとは思わないが、せめて記者として、会の名に恥じぬ研さんを積もうと、日々肝に銘じている。

 

(ひろた・たかあき 2004年北海道新聞社入社 本社報道センター 東京報道センターなどを経て 現在 ワシントン支局長)

 

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