取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
今村花子さん「たべものアート」創作/価値観 揺さぶられる感覚(千葉 紀和)2024年8月
畳の上に「残飯」が無造作に並べられていた。ちぎれたミカンの皮。食べ残しの白飯。頭と尾だけ残ったサンマの骨……。しかし、これが「たべものアート」だと言われて、私は目を丸くした。
このアートを創作する今村花子さんに出会ったのは25年近く前。京都府大山崎町にある自宅を訪ねた時、彼女は20歳そこそこだった。当時の私は支局の駆け出し記者。事件や行政取材の傍ら、街ダネを探して障害者施設を回っていた。
施設にこだわっていた動機は不純そのもの。ネタを見つけやすいからだ。しかも「障害があるのに○○できて、すごい」という類いの浅はかさ。今となっては赤面するしかない。
「これ、記事になるのか……」
ある日、通所していた彼女を知り、母親の知左さんに招かれて夕食を共にした。重い自閉症で会話がままならない花子さん。食べ終わると、食卓の骨や皮を手に取り、畳の上で並べたり重ねたりし始めた。その姿を、知左さんは少し離れてにこやかに見つめている。
私の頭には声に出せない「?」がいくつも渦巻いた。「掃除が大変そう」「毎日飽きないのかな」「これ、記事になるのか……」。出来栄えに満足したのか、花子さんの手が止まった。知左さんは笑顔で近づき、真上からカメラに収めた。
毎日、夕食後にできあがるという謎の「アート」。何年も撮りためた写真は千枚を超えていた。見比べると、確かに並べ方が同じものは1枚もない。私には「残飯」に思えた代物を面白がり、「作品」にする知左さん。最初は理解に苦しんだが、何度か通わせてもらううち、価値観が揺さぶられる感覚を覚えた。
私の小さな街ダネがきっかけかは分からない。今村家の母と娘、さらに父と姉を交えた日常はその後、ドキュメンタリー作家の故佐藤真監督によって映画「花子」(2001年公開)となった。招待された試写会で知左さんと同席した。その横顔は何かを誇るでもなく、苦労をしのぶでもなく、いつものように朗らかだったことを覚えている。
次第に結びついた問題意識
支局を卒業した私は、科学や医療畑を中心に記者生活を歩んだ。最先端の医学や生命科学の動向を追う一方、難病患者の取材を続けた。その頃の動機はもう、ネタになるからではなかった。患者の生きる姿、その家族や支援者の語る言葉に、当然視してきた考えや視点の転換を迫られる経験が多々あったからだ。
医学や生命科学の研究や歴史と、障害者や難病患者らの暮らし。それぞれの取材で抱いてきた問題意識が、次第に自分の中で結びついた。現憲法下で起きた強制不妊手術の実態解明と被害者救済を求めたキャンペーン報道「旧優生保護法を問う」や、現代の優生思想が露呈する現場に迫った拙著『ルポ「命の選別」誰が弱者を切り捨てるのか?』(文藝春秋)などの取り組みは、こうした方々から教わった価値観や視点なしには実現できなかった。
華麗な交遊録が並ぶこのリレーエッセー欄だが、私の「心に残る人」の多くは世間的には有名ではない。ただ、今村花子さんは現在も「生の芸術家」として活躍の場を広げている。私を変えてくれた方々への感謝を込め、代表として紹介させていただいた。折しも今年は佐藤監督を特集する「暮らしの思想」が全国で開催され、映画「花子」がリバイバル上映されている。
(ちば・のりかず 2012年毎日新聞社入社 科学環境部 京都支局などを経て 現在オピニオン編集部)