取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
ジュサーラさん ハイチ難民の少女/夢追い「死のジャングル」へ(市川 正峻)2024年5月
ハイチ難民の取材に、南米コロンビアを訪れたのは2021年のことだった。ネコクリという小さな港町の海岸沿いには、難民が暮らすテントが、数えきれないほど乱立していた。なぜコロンビアに? 彼らは、隣国パナマを目指すため、待ち受ける「死のジャングル」を乗り越える準備をしている。
多くの難民がいら立ち、ピリピリした空気が張り詰める中、ジュサーラさん家族は私たちの取材を受けてくれた。彼らが暮らすのはぼろぼろの民家。1人あたりの家賃は1日6ドル。家族には大きな負担だった。狭い部屋に8人で寝泊まりする生活。庭でくんだ水を飲んで体調を崩した。一日も早く出発したいという思いがある一方、ジュサーラさんの父・ニクソンさんは家族で「死のジャングル」を乗り越えられるか、不安を隠せないでいた。それでも進むしかない。政情不安に揺れる祖国には、もう、戻ることはできない。
取材機材を持って現れた私たちに、長女・ジュサーラさん=当時(13)=は当初、けげんな顔をしていたのを覚えている。私たちが家の中を撮影し、ニクソンさんのインタビューをしている間、ジュサーラさんはカメラに映りこむのを避けるようにしていた。一緒に取材にあたっていた通訳担当のスタッフが彼女を散歩に誘うと、ジュサーラさんは率直な心境を明かしてくれた。
まだ13歳 大きな覚悟
「不安な気持ちでいっぱいです」
ジュサーラさんは、これから待ち受ける旅路に恐怖を感じていた。「死のジャングル」を渡ろうとして、21年には200人以上が命を落とした。弱冠13歳で、大きな覚悟をしなければならなかった。
ジュサーラさんは、そうした恐怖の気持ちを明かすとともに、前向きな思いも教えてくれた。
「私の最初の夢は、ハイチに残っている家族を助けること。私たちがより良い生活を築き、ハイチの家族もより良い生活を築いてほしいの」
なぜアメリカを目指すのか。彼女はその理由をきちんと理解していた。実は、この家族はハイチを逃れたあと、一時期ブラジルに住んでいた。しかし新型コロナの影響もあり、父・ニクソンさんは職を失う。安定的な生活はできなくなった。移民に厳しい政策をとってきたトランプ前大統領からバイデン政権に変わり、移民政策も寛容になると期待した多くの難民と同様に、この家族もアメリカに行くことを決意する。
ジュサーラさんはこれまでの道のりを振り返り、こう言った。「ずっとうまくいくように神に祈り続けてきた。だからこの先に向かって行くの」
「家族一緒に」が叶えば
私たちは彼女に「夢は何?」と尋ねた。すると彼女は笑顔を見せ、こう話してくれた。
「家族がいつもそばにいて、当たり前のようにクリスマスはみんな家族でパーティーをしてお祝いをするの」
ジュサーラさんの話には、いつも「家族」というキーワードが出てくる。ジャングルで命を落とすかもしれない境遇にある彼女だが、明るく笑いながらこう続けた。
「父は〝人生は家族一緒に〟っていつも言っている。それが私が叶えたい夢。それが叶った後は、人生がきっと何とかしてくれる」
コロンビアの海を眺めながら彼女が明かしてくれた夢は爽やかだった。そして私たちが取材した数日後、この家族も〝難民の暮らす街〟を出発した。
(いちかわ・まさとし 2010年TBSテレビ入社 報道カメラマンを経て 社会部 警視庁などを担当 ニューヨーク特派員を経て 23年から報道局デジタル編集部)