ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


リレーエッセー「私が会ったあの人」 の記事一覧に戻る

倉本聰さん 脚本家/ドラマが根を張る本気の追求(花井 康子)2023年1月

 「純と蛍」。役名だけで多くの人が思い浮かべるであろう、あの北の大地。あの場面、あの主題歌。国民的ドラマシリーズ「北の国から」は1981年に放送が始まった。冒頭は主人公の黒板五郎(田中邦衛)が育てる兄妹の名だ。

 スタートから40年を前に、脚本家の倉本聰さんに話を聞く機会に恵まれた。84歳だったと記憶する。場所は、新富良野プリンスホテルに近接する森の中のバー。倉本さんが監修した。特注の赤ワインを手に「喫煙者のための店だから」と笑いながら紫煙をくゆらせる姿に、黒板家の物語に何度も涙した私は、少し、いや、かなり緊張して対面する席に座った。

 

登場人物全員に履歴書

 脚本を書く時は登場人物の履歴書を作る。これが倉本流。生い立ちなど背景を含めて人物を設定することで、直接描かれないことでも視聴者に何らかの事情が「ある」と感じさせる。それがドラマにリアリティーをもたせる。一場面しか登場しないラーメン屋の店員でも履歴を考えた。「脇役でも、その立場から物語を創ると面白くなる。人と人との化学反応でドラマが生まれる」。画面に映るかどうかは関係なく、そういった丁寧なアプローチが根っことなり、唯一無二のドラマが創られた。

 どうすれば根を張るドラマを創ることができるのか、問うてみたらこんな例え話が。倉本さんの娘さん夫妻が富士山に登った時のこと。五合目から登山を始めたと聞き、倉本さんは「一番下からでないと登ったとは言えない」と認めなかった。その後、夫妻は駿河湾から再挑戦したという。「社会が進化し皆、五合目がスタートラインだと誤解している。もっと下から登れば選択肢は無限なのに」

 「北の国から」の制作でも、この信念が垣間見えた。一家が暮らす家は実際に現地に建設。野生のキタキツネとキャストが触れ合うところを撮ったり、雪道に足跡を残すために新雪が降るまで待ったり。しつこさで有名な杉田成道監督らと共に、出演者に恨まれながらも氷点下20度以下の地でテイクを重ねた。ふさわしい言葉が見つからないくらいの「本気」だ。

 

「自然に試されている」

 そもそもの始まりは倉本さんの北海道への移住がきっかけだった。当時39歳。ある放送局とのいざこざが原因だったそうだ。寒暖差が激しく、自然林のあるところが条件。東京では感じられない環境を求めた。だが、移り住んですぐ精神が不安定に。夜は漆黒の闇に包まれ、外では自分の手が見えず、凍死の危険が迫る。「自然に試されている気がして」。そんな中、地域の人に話を聞くうちにドラマの土台が創られていった。

 柱にしたのは「地方の価値観」。この思いが24回の連続ドラマとスペシャル版を放送した計20年間を貫いた。視聴率は連続ドラマの最終回で20%を超え、最後のスペシャルでは38・4%をマーク。番組の視聴方法が変わった令和の時代において、単純比較はできないが…。夜も更けた頃、同席していた放送局のスタッフらに、倉本さんが声を荒らげた。「最近のドラマはどう事件を起こすかばかり。テレビ局は金もうけばかり。一回死んで生まれ変わってくれ!」。あんなドラマは創れない―。そうつぶやいたテレビマンの隣で、私はもう一度と願った。

 

(はない・みなこ 2003年中日新聞社入社 現在 文化芸能部記者)

ページのTOPへ