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水素爆発撮影から10年/映像の力で事実伝える使命新たに(福島中央テレビ報道部(いわき支社駐在) 岳野 高弘)2021年3月

 原子力発電所が爆発する模様をとらえた東京電力福島第一原発1号機の水素爆発映像。この映像が記録されたきっかけは、1999年に起きた東海村JCOの臨界事故だった。「万が一、原発で何かあったら」。そんな思いから弊社では、福島第一原発を監視する情報カメラを設置した。

 2011年のあの日。一帯は停電したが、弊社のカメラだけは電源が維持され、「忌まわしい瞬間」が記録された。日々進歩する技術への漠然とした恐れがなければ、あの映像は存在すらしなかった。原発の安全神話が常識という空気の中で、私たちはうすうす、科学が万能ではないと感じていたのかもしれない。

 水素爆発という衝撃的な映像は、瞬く間に世界に伝わった。撮影した弊社は、この映像を使用することで、原発事故が人々の生活にもたらした実相を伝え続けてきた。記者やカメラマンは、地震、津波、原発事故に打ちひしがれる人たちと出会った。放射線へ不安を抱く親子、長く帰還できない人々…。さらには、崩壊した故郷のコミュニティー、農産物の風評被害など、事故から年月を経ても、新たな問題が次々浮上する。そのたびに私たちは、放送でこの水素爆発の映像を〝差し込んで〟いった。

 

■映像がトラウマにも

 

 ただ、5年ほどが過ぎたころからか、水素爆発の映像を使うことは次第に少なくなった。県内でも震災関連のニュースに人々の関心が薄れていく中、一気に当時を思い出すこの映像も、被災者にとってはトラウマなのかもしれない。伝えたいことと、爆発の映像が意味するものとの齟齬を感じていた。事故から10年を迎え、ニュース企画の放送が増える中も、水素爆発の映像を使うことには、かなり気を遣った。

 

■原子力規制委が映像を解析中

 

 しかし、事故から10年となる今でも、この映像が持つ意味は失われたわけではない。くしくも今、原子力規制委員会が、この映像の解析を進めている。当時の原子炉の状況や爆発に至るメカニズムなどが検証され、この解析を通じ、今後の原発事故への対策に生かされると期待している。

 現在、日本は、コロナ禍にあえいでいる。ワクチンの接種も始まったが、当面、感染は収束せず、さまざまな困難に直面する人も少なくない。医療従事者や感染者に対する差別も深刻だ。命をつなぎとめることすら難しい、ひとり親世帯や貧困世帯など、私たちが見過ごしてきた、さまざまな問題も新型コロナによってあぶり出されている。

 「私たち日本人の倫理と規範の敗北」。これはくしくも原発事故の3カ月後に作家の村上春樹氏が語った言葉だ。事故前は、原発を推進する経済産業省が、原発を規制する役割(原子力安全・保安院)を担っていた。こうした日本の過ちをあの映像が強烈な圧力で伝え、震災の翌年に原子力規制委員会が設置された。誰もがおかしいと思いながらも見過ごしてきたことを一つ変えたのだ。

 原発事故から10年を迎える今、見過ごされている問題を記録し、映し出し、人々に問うのもまた、映像の役割であり、メディアの使命ではないだろうか。原発事故から10年を迎える今、水素爆発の映像に、改めて考えさせられている。

 

 たけの・たかひろ▼2004年入社 社会部 県政 デスクなどを経て 15年から現職

 

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 福島中央テレビ報道制作局は、東日本大震災の東京電力福島第一原発事故で1号機が水素爆発した瞬間を唯一、撮影し速報した。この放送がなければ国民も政府も水素爆発を知らずに危険な時間が過ぎていたかもしれない。原発神話の崩壊を日本と世界に示した映像であり、テレビ・ジャーナリズムの使命を果たした報道として高く評価され、2012年度日本記者クラブ賞特別賞を受賞した。社を代表して岳野高弘記者にご寄稿いただいた。

 

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