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憎しみ超え、日本人戦犯に恩赦/キリノ比大統領の信頼外交(伊藤 芳明)2020年1月

 その碑は、日比谷公園の色づき始めた木立の中にひっそりと建っていた。

 「こんな所に…」。偶然に通りかかって、声を失った。高さ2㍍ほどの大理石の碑の上部には、温厚そうな顔の青銅のレリーフ(写真)があり、「キリノ大統領声明」の文字の下に、日本語と英語の文章が彫られている。日本記者クラブの目と鼻の先、内幸町交差点の公園入り口からわずか20㍍ほど入ったベンチの後方に、こんな碑があることに全く気付かなかった。

 エルピディオ・キリノ。第2次大戦後の5年余り、フィリピン大統領だったこの人に関心を寄せるようになったのは、7年前だ。アジア・太平洋地域に関わる著作を顕彰する賞の審査で、2013年の特別賞に選ばれた『フィリピンBC級戦犯裁判』(永井均著)を読んだ時のことである。国際報道に携わっていながら、この人物をよく知らなかった不明を恥じた。

 

■日本軍に殺された家族

 

 1945年2月に始まった日米両軍によるマニラ市街戦は、日本軍が掃討されるまで約1カ月続き、日本軍の死者は1万6千人以上に達した。戦場と化したマニラで非業の死を遂げた民間人は10万人に及んだと言われる。上院議員だったキリノ氏も、妻と次男、長女、三女の家族4人を日本軍に殺されている。

 48年に前任者の急逝を受けて副大統領から昇格したキリノ大統領にとって、最大の懸案は対日講和、特にモンテンルパの刑務所に服役中のBC級戦犯の処遇問題だった。

 再選を目指す大統領選挙を4カ月後に控えた53年7月6日。入院中の米ボルティモアの病院のベッドで、大統領はラジオ番組の収録に臨み、日本人戦犯105名全員に恩赦を与える大統領声明を読み上げた。親族や友人を殺されたフィリピン国民の反日感情を考えれば、明らかに大統領選に不利に作用する声明だった。

 碑に刻まれた大統領声明は言う。「私は日本人に妻と三人の子ども、そしてさらに五人の親族を殺された者として彼らを特赦する最後の一人となるだろう。私は自分の子孫や国民に、我々の友となり、我が国に長く恩恵をもたらすであろう日本人に憎悪の念を残さないために、この措置を講じたのである」  

 「私を突き動かした善意の心が人間に対する信頼の証として、他者の心の琴線に触れることになれば本望である」

 

■自民・高村氏が碑建立に尽力

 

 碑の建立は2016年6月とある。1月には国交正常化60周年を記念して天皇、皇后(現上皇、上皇后)両陛下がフィリピンを訪問し、キリノ大統領の孫たちと言葉を交わされている。この時、同行したのが自民党副総裁だった高村正彦氏である。

 「『母を殺した日本人になぜ』と子どもから問われた大統領が『憎しみの連鎖を終わらせなければならない』と答えたと、孫の一人から聞かされ、感動した。政治家が国民の望んでいないことを主張するのは選挙では不利になる。国民や国家のために敢えてそれをやれるかやれないかは、政治家の考え一つだ。キリノさんのようなことをすべての政治家に求めるのは求め過ぎだが、こういう人物がいた以上、顕彰して記憶すべきだと思った」

 自民党本部を訪ねると、高村氏は碑の建立に尽力した経緯を語ってくれた。高村氏の指摘通り、国民の意に反したキリノ氏は大統領選で大敗し、2年後にこの世を去っている。

 キリノ大統領の生きた時代は、「信頼」に基づく外交が許された時代だったのかもしれない。東西冷戦の終結、それに続くグローバリズムの波、そしてポピュリズムの台頭は、そんな牧歌的な外交を流し去ってしまった。没後60年余りが過ぎ、キリノ大統領が妻子を殺された恨みを超え、選挙で不利になるのを承知で貫いた「人間に対する信頼」は、外交の舞台ではもはや死語になったようにみえる。売り言葉に買い言葉のような外交の幼児化が進み、選挙に勝つためなら信頼を損なう行為も辞さない外交が闊歩している。

 1980年代から90年代にかけ、中東世界を歩き回って、クルドの人々に出会った。91年の湾岸戦争で米軍主導の多国籍軍にフセイン政権が敗れた直後、イラク北部のクルド人がCIA(米中央情報局)の支援を受けて反乱を起こしたことがあった。しかし当時のブッシュ政権はイラクの混乱回避のためにフセイン政権の延命を決定、CIA要員が突如、撤収したため、クルド人数万人がフセイン軍の報復攻撃の犠牲となった。彼らは「米国に裏切られた」と憤っていた。

 

■地球を席巻する自国第一主義

 

 昨年10月、トランプ米大統領がシリア北部からの米軍撤退を表明したとき、この憤りを思い出した。米軍に協力し、IS(イスラム国)掃討作戦を担ったクルド人はまたも見捨てられ、トルコ軍の攻撃にさらされた。クルドに対する度重なる背信は、同盟国の信頼を失わせ、「いつ裏切られるか」との疑念を植え付けた点でこれまで以上に罪深い。

 背景には、公約を守っていることをアピールし、11月の再選を有利に展開したいトランプ氏の思惑があると指摘されている。昨年来の「ウクライナ疑惑」でも、大統領選を国益より優先する構図は同じだ。

 トランプ氏の自己中心の姿勢は、キリノ大統領が体現する「人間に対する信頼」「相手への尊敬」「地域の調和」の精神とは対極をなす。米大統領の主導する「自国第一主義」は、いまや国際政治のスタンダードになった観がある。米国と対抗する中国は南シナ海の軍事拠点化を進め、ロシアはウクライナ東部への干渉を続けている。世界のあちこちに米大統領に倣った「ミニ・トランプ」が出現し、自国第一主義が地球を席巻している。

 この情勢に、残念ながらメディアは有効に機能し得ていない。都合の悪い情報を「フェイク・ニュース」と断じ、批判を「魔女狩り」と切って捨てる大統領に対し、米メディアの主張はコアなトランプ支持層には響かず、社会の分断だけが拡大すると指摘されて既に3年がたつ。

 

■メディアは権力監視の原点に返れ

 

 日本のメディア界にも重なるものがある。一強の長期政権を前に、時として無力感にとらわれ、批判疲れの兆候が表れてはいないか。膨大な情報が飛び交うネットという新たな情報空間の出現を、自らの影響力低下の便利な口実に使ってはいまいか。権力を監視し、問題点を指摘するのが役割の一つであるジャーナリズムの原点を忘れかけてはいまいか、との危惧が頭をもたげてくる。

 精神科医の立場からトランプ大統領を分析した書籍『ドナルド・トランプの危険な兆候』が話題となった。分析自体、新鮮で興味深いものであったが、それ以上に米国の精神科医らが執筆を決断した覚悟に瞠目した。分析を公表したことによるトランプ政権からの報復を恐れ、政治とは一線を画すべしという倫理観との葛藤にも悩む。それでも専門家として、悪性を証明する証人たるべしと声を上げた事実は、自らの覚悟を問われているようで示唆に富む。

 高村氏の言うように、キリノ大統領が追求した外交を現代に求めるのは「求めすぎ」かもしれない。しかし、国家や国民の将来を見据え、目先の選挙にとらわれない外交の必要性を指摘する覚悟は持ち続けたいと思う。ジャーナリズムが歴史の記録者であるならば、ジャーナリストは同時に歴史の一コマとして記録されることから逃れられない。

 

 いとう・よしあき

 1950年生まれ 74年毎日新聞社入社 カイロ ジュネーブ ワシントンの各特派員 外信部長 東京 大阪の各編集局長 専務・主筆を務め 2016年から論説特別顧問 著書に『ボスニアで起きたこと』など 2014年から17年まで日本記者クラブ理事長

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