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ドラマ「大地の子」残留孤児の養父役 朱旭さん/日中の友情と和解の象徴だった(五十嵐 文)2020年10月

 日本では、本名よりも「『大地の子』の中国人のおとうさん」として親しまれてきた。

 山崎豊子さんの同名小説を原作に、1995年にNHKで放映された日中共同制作ドラマで、残留孤児の養父役を演じた。丸めがね越しのまなざしに、血のつながらない「我が子」への慈しみがにじみ出るような名演に魅了された。

 

■「戦後70年」取材で自宅を訪問

 

 実物の朱旭さんに会ったのは2015年夏。戦後70年の節目に合わせてインタビューを申し込んだところ、北京市内の自宅マンションに招いてくれた。

 180㌢余りの長身痩躯に、漢服風の上着がよく似合う。当時85歳だったが、数多くの舞台や映画、ドラマに出演してきた一流の役者ならではの風格と、笑顔を絶やさぬ気さくな対応は、ドラマの「おとうさん」そのものだった。

 居間のソファに並んで腰を下ろし、話を聞いた。8年ぶりに日本を訪れたばかりといい、ドラマで残留孤児を演じた俳優の上川隆也さんらと再会したことや、10年以上前の朱さんのサインを持って駆けつけた日本人ファンとの交流を楽しげに話してくれた。

 戦争に巻き込まれた日中双方の国民の友情と和解を描いた「大地の子」は、朱さん自身の人生とも重なる。

朱さんは満州事変の前年の1930年、中国東北部の奉天(現・遼寧省瀋陽)に生まれた。父親は日本の関東軍に砲撃された東北軍にいた。終戦まで戦争を身近に感じて過ごし、「日本人にいい印象は持てなかった」と語った。

80年代に芝居の公演で日本人と共演するようになり、交流を重ねたことで、わだかまりは次第に消えていったという。

 

■日本で残留孤児の孤独に触れる

 

 日本で実際に残留孤児に会いに行き、日本社会に溶け込めない孤独に触れた。養父役を演じつつ、「日本人も軍国主義の被害者だ」という周恩来元首相の言葉をかみしめた。朱さん自身の実感が込められていたからこそ、みる人の感情を強く揺さぶったのだろう。

 朱さんに会った前後の日中関係は、尖閣諸島を巡る対立から、改善に向けてようやく動き出していた。その後、首脳レベルの「日中新時代」宣言とは裏腹に、米中対立や、中国の強引な香港政策で、協力の機運は失われつつある。

 朱さんに教わった言葉がある。「己所不欲勿施于人」。自分がされたくないことを他人にするなという趣旨の論語の一節だ。日本など列強に蹂躙された中国が、周囲に同じことをすることはないから「心配無用」と朱さんは言った。

中国は変わったのか、それとも今の統治が異質なのか。朱さんに再び会って聞いてみたかったのに、2年前に旅立ってしまった。

 朱さんの出演作では、中国映画「変臉」(1995年公開)もいい。一子相伝の秘技を伝えるために孤児を買った大道芸人が、欺きや過ちに翻弄されつつ、古い殻から自分を解き放つ。職人気質の役柄と朱さんが一体に思え、何度みても涙が止まらない。

 これから先、「大地の子」のおとうさんと言われてもピンと来ない日本人は増えていく。友好のシンボルが去った空間を、一切の異論を力で封じ込める大国・中国のイメージが塗り替えていく。共通の物語の担い手と共感を失いつつある日中は、これまで以上に厳しい時代に入った。

(いがらし・あや 読売新聞社国際部長)

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