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情熱が歯車を回すジャーナリズムの歴史(立野 純二)2018年3月

ジャーナリズムとは、情熱を糧にして走り続ける真実探しの旅だ。この映画をみて、それを改めて痛感した。

 

時の政権と対立し、訴追される恐れがある。その理由で事実を報じることをあきらめるだろうか。それは、ない。だが、事実かどうかの確認に時間がかかるとき、報道を見合わせるか。大いにありうる。むしろ、確認を尽くすまで自制すべきだろう。

 

ワシントン・ポスト紙が「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手してから、原稿を組むまで約12時間。映画をみながら解せなかったのは、なぜ、そんな突貫作業に自信が持てたのかだ。

 

数千ページからなる政府の秘密文書である。政権は歴代にまたがり、事実は国外にも及ぶ。私の中での論点は、経営の判断よりも、報道の基本動作である裏取りができたか、だった。

 

その適否は、実際のケースを精査しなくては論じられない。ただひとつ、はっきりと映画から伝わるのは、ニューヨーク・タイムズ紙に一日でも早く追いつこうとする執念である。国民をあざむき続けた政府の実態を暴く文書となれば、おくれを取るわけにはいかない。その情熱がブラッドリー編集主幹を突き動かしたのは確かだ。

 

グラハム社主の判断を決定づけた助言にも、理性とともに感性を信じた力があったようだ。ブラッドリー氏が約20年後のインタビューで明かしている。

 

あの日、ブラッドリー氏とグラハム氏がともに信頼する法律家に緊急電話で事情を説明し、考えをたずねると、沈黙の後の答えは、もはや法律論ではなかった。「米国の歴史で重要な役割を果たす新聞でありたいと思うならば、報じるべきだ」--。

 

問題を突き詰めれば、メディアは何のために存在しているのかという問いに行き着く。経営を守るために、権力追及の報道を控えるのなら、仮に企業として生き残れても、報道機関としては自死したことになろう。

 

結果として、ペンタゴン・ペーパーズの報道に踏み切った判断が、新聞も経営も救った歴史を重くとらえていきたい。

 

(たちの・じゅんじ 朝日新聞社論説主幹代理)

 

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