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メール、ツイッターがリスナーをつなぐ(ニッポン放送 森岡治)2011年4月

3月11日その時は、『上柳昌彦 ごごばん!』の生放送中だった。直前に、出馬表明したばかりの石原都知事の話題が取り上げられていた。

 

14時46分。スタジオが揺れ、その揺れが大きくなり長く続く。上柳アナウンサーはリスナーやドライバーに安全確保のための注意を強く喚起し続けた。

 

スタジオの震度計が5強、宮城県北部が震度7を速報。ここから、特別放送に移行する。報道部長がスタジオに入り、各地の震度、大津波警報を報じ、EWS(緊急警報信号)を送出した。

 

15時7分。千葉の大網白里にいるリスナーから激しい揺れに関するメール。別のリスナーから、お台場方面で吹き上がる黒煙を知らせるメールも入る。

 

15時14分。スタジオが大きな余震で揺れた。九段会館一部崩落の一報を出す。報道記者からリポートが刻々と入る。

 

15時30分ごろから、ニッポン放送の大原則”安心報道”の一環である「学校安否情報」を伝え始めた。これは東京と神奈川の私立中学高等学校と国立大学付属学校の連絡網から電話で入ってくる生徒の状況報告を順次放送に差し挟んでいく独自のシステムだ。放送した情報はニッポン放送のホームページにもすぐに反映させた。

 

交通機関、ライフラインの情報を報じ続けるとともに、夕方が近づき、約10万人とみられる首都圏の帰宅困難者に向けて、受け入れ施設や幹線沿道の情報を伝えていく。徒歩で帰宅中の人からも沿道の様子が伝えられ、ここではツイッターの活用が目立った。

 

18時を回り、上柳アナから垣花アナにバトンタッチし、特別放送を続ける。地震発生直後にラジオカーで被災地に向かった報道記者から現地リポートが入ったのは、夜も深まった頃だった。

 

地震発生直後から、リスナーからは数え切れない情報やメッセージがずっと送られ続けている。メールやツイッターなどがラジオとリスナーをつなぐツールとして不可欠になってきた昨今だが、こういう事態にはなおさらであることを痛感した。

 

(もりおか・おさむ 1983年入社 編成部)

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