ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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八戸港カメラの操作に走る(青森テレビ 金井晴夫)2011年4月

報道制作局に設置してある緊急地震速報機器が、けたたましい警報音を発した。自席からモニター画面を確認すると、震源は三陸沖、到達まで30数秒、青森市の予想震度は4。震源のマグニチュード8.0の表示が気になり「揺れるぞ」と叫んだ。

 

ちょうど夕方ローカルニュースの2版の献立構成が始まりかけた時であった。カメラマンとアナウンサーがスタンバイし、局内各所でカメラを構える。モニターの数字を見ながら、「到達まで15秒、各自で安全確認を、10秒」とカウントダウン。横揺れが始まる。徐々に大きくなる中、技術局の社員が一斉に放送機器点検に向かう。気持ちが悪くなるような長い揺れだ。一瞬室内の照明が落ち自家発電に切り替わった。それほど大きな地震が発生していたのか。自社作成の緊急報道マニュアルを取り出した。

 

揺れが小さくなり「津波警報に注意して」の声が上がると、誰かが太平洋側の八戸港情報カメラ操作のため主調整室に走る。何をすべきか各人が考えながら状況把握を急ぐ。詳細情報がほとんどない中、発生から10分後にアナウンサーがアナブースに入り、被害の拡大を最小に止めるための緊急放送を立ち上げた。

 

「先ほど東北地方で強い地震があり、大津波警報が出されました」。緊張したアナウンスで震災報道が始まったのだが、大津波による未曽有の惨状はまだ分からなかった。

 

それから3日間は報道・技術・制作すべての力を集中してまさに無我夢中での取材。連続放送の系列報道特番の合間に何度もローカル枠を開き、被害状況を中心に伝えてきた。その後は、ライフライン情報と復興に向けた取り組みに取材の重点を移し、現在も続いている。また深刻な被災地である岩手・宮城・福島各県に、JNN系列として応援クルーを出動させる態勢も整えている。

 

これから長期にわたる取り組みになるが、八戸の被災地で記者の問いかけに「この日のことを忘れず、いつまでもみんなに伝えていこうと思います」と答えてくれた小学6年生の言葉は、私たちにも踏ん張れというメッセージでもあるのだと思った。

 

(かない・はるお 1972年入社 現・執行役員報道制作局長)

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