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伊方再稼働 立地県として 「地元」の枠超えて原発を伝える(愛媛新聞社 武田亮)2017年3月

2011年3月11日、東京電力福島第一原発で発生した事故は、四国唯一の原発立地県である愛媛県民にも大きな衝撃を与えた。

 

1972年に国から原子炉設置許可を受け、四国電力伊方原発1号機が国内13番目となる運転開始の日を迎えたのは77年。82年に伊方2号機が稼働してからは24時間365日、愛媛の地に原子の灯がともってきた。

 

この間、伊方原発内外で大小さまざまなトラブル・事故が発生したが、常に「伊方は大丈夫」との言葉が電力会社をはじめ、行政や地元住民からも出ていた。だが未曽有の被害を与え、なお多くの地元住民らに避難生活を強いている福島第一原発事故は愛媛県民の意識を大きく変えた。「原発事故は起こる」と。それは愛媛新聞社内においてもそうだった。

 

事故後、愛媛県は原発の重大事故を想定した地域防災計画を大幅修正。原発が立地する伊方町以外の原発30㌔圏の6市町も新たに計画を策定した。愛媛新聞では取材マニュアルや資材の見直しなどを行った。マニュアルで、国の指針などを踏まえ、原発周辺での退避基準、社内の指示命令系統などを明記。原発が立地する伊方町の取材を担当する最前線の八幡浜支社(八幡浜市)には、線量計などの従来装備に加え、自治体の防災担当らに準じた作業服や安全装備を追加配置した。

 

加えて、原発事故に対する社内意識の醸成にも着手した。11年から福島県に定期的に派遣している記者らによる報告会を開いた。紙面で伝えきれなかった内容を共有し、「愛媛で原発事故が起きたらどうすればよいか」を個々が考える機会としてきた。

また、福島第一原発事故で福島県双葉町を離れ、松山市で生活している県内避難者を招いた講演会なども開催。事故当時や避難生活などを紹介してもらい、社内全体で原発事故避難者の思いを学んだ。

 

■県民・メディアの意識変えた3・11

 

報道もより幅広く、より詳細になった。1987~88年に伊方2号機で行われた出力調整運転実験、2010年の伊方3号機プルサーマル発電導入といった重大事案だけでなく、日々の伊方原発や伊方町の動きは報じてきた。しかし事故後、愛媛県の南西部に位置する伊方原発の周辺だけでなく、原発から100㌔余り離れた県内の他地域にも原発への関心が高まった。

 

これを受け11年5月に県内20市町の首長に原発の見方や耐震性などに関するアンケートを実施。再稼働判断の一端を担う県議のほか、県選出国会議員へと対象を広げた。伊方原発の電力供給が主に四国内であることから12年7月には、四国4県知事に原発の安全性や必要性などを問い、愛媛県知事と、他の3知事との認識の違いを浮き彫りにした。

 

さらに、伊方原発への県民の意向を探ろうと、11年から県民世論調査を計10回実施。「再稼働に否定的」がおおむね5~6割で、「肯定的」の3~4割を上回るという回答を得てきた。こうした県民の意向に向き合いながら、原発立地自治体を指すことが多かった従来の「地元」という枠を超えた報道を心掛けている。

 

伊方原発は16年8月、全3基停止から約4年7カ月ぶりに3号機が再稼働し、運転開始から40年を前にした1号機は同5月に電気事業法に基づいて廃炉が決まり、大きな節目の年を迎えた。

 

日本一細長い佐田岬半島の付け根に立地しているため広域避難計画の実効性に課題を残すなど、県民には安全性に根強い不安がある。今年も同調査を実施しており、県民に向き合いながらニュースを伝える姿勢で臨み続けたいと考えている。

 

(たけだ・あきら 編集局報道部長)

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