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避難指示解除を前に 新たな大災害への体制を考える(福島民報社 円谷真路)2017年3月

 

東京電力福島第一原発事故に伴う避難区域は今春、大きな節目を迎えようとしている。帰還困難区域を除く、ほとんどの避難指示解除準備、居住制限区域が解除される見通しだ。かつて双葉郡の中心だった富岡、浪江両町の一部地域が含まれる。ただ、避難区域が解除されたからといって、多くの住民が直ちに戻るのは難しい。役場職員も例外ではない。

 

避難先の便利な暮らしに慣れたり、原発への不安を抱えたままだったり、理由はさまざまだ。6年もの避難生活で新たなコミュニティーが生まれ、それを断ち切ることができない住民もいるだろう。

 

国などは解除に向けて社会基盤の復旧、除染、商業や医療施設整備を行い、帰還する住民の不安払拭に全力を挙げている。これらの対策により、平時の生活に不便は少ないのだろうが、新たな大災害発生時の即応体制は確立されているのか。

 

昨年11月22日早朝に発生した福島県沖を震源とする地震で新たな課題が浮上した。役場職員の多くが避難生活を続けている旧避難区域の住民をどう守るかだ。楢葉町では現在も職員の多くが約20キロ離れた、いわき市などで避難生活を続けている。地震発生後、津波警報が発令され、職員の多くが災害対応の拠点となる町役場を目指したが、迅速に登庁できた職員が少なかったという。

 

交通渋滞が発生したためだ。町といわき市を結ぶ常磐自動車道が通行止めになった。国道6号は沿岸を通過する区間があり、津波被害の危険性があった。結果、内陸部の県道に車が集中し、大渋滞を引き起こした。

 

町内は幸い津波による被害がなかった。しかし、沿岸部に巨大津波が到達していたら、被害状況の把握や救助、支援要請など命に関わる活動が滞った可能性がある。

 

わが社の取材活動も渋滞に巻き込まれ、思うように進まなかった。被害状況が見えない中、大がかりな取材態勢をとるのは難しいが、現場に到着できなければ何も分からない。内陸部の支社、支局から記者を投入した方が、迅速に取材活動を展開できていただろう。今後の取材活動の教訓としたい。

 

■「千年に一度」で片付けない

 

今春、帰還困難区域以外の避難指示が解除される富岡町は当初、どれほどの町民が帰還するのかは不透明だ。双葉署は住民の安全・安心の確保に向け町内のかつての庁舎で業務を再開する。しかし、災害対応の現場を担う町消防団は団員255人のうち、3割近い70人が今春の退団意向を示している。しかも団員の多くは当面、いわき、郡山両市の避難先で生活を続ける見通しだという。

 

大規模災害が発生した場合、誰がどういう手段で帰還した住民を守るのか。富岡町に限らず、避難区域が解除された町村が直面している課題だろう。

 

避難区域の解除とともに古里に戻るという判断も、今すぐには戻れないという思いも、ずっと戻らないとの決断も、6年に及ぶ避難生活を続けている原発事故被災者の悩み抜いた身の振り方だ。避難区域が解除された自治体は、住民の思いを尊重しながら古里再生に向け帰還を促している。それと並行して、原発事故被災地再生の過程で生じた、役場職員を含む住民が少ないという異常事態に何らかの対策を打たなければならない。

 

大災害発生直後の短い時間であっても、旧避難区域全体の被害状況を目配りできる仕組みが必要だ。避難区域が解除された近隣の町村間や、役場・警察・消防の枠組みを超えた災害対応制度の整備などが想定される。震災を「千年に一度」と片付けず、旧避難区域に特化した大規模災害対応を構築すべきだ。それが居住者ばかりでなく、帰還をためらう住民の安心にもつながる。

 

(つむらや・しんじ いわき支社報道部長)

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