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記者たちの夏1985年:中曽根首相 靖国「公式参拝」周到な準備で念願かなえる(星 浩)2015年8月

暑い夏だった。30年前の1985年8月。12日には日航ジャンボジェット機が御巣鷹山で墜落。多くの死傷者が出た。日本中が騒然としていた中で、15日には中曽根康弘首相が靖国神社への公式参拝に踏み切ることになった。朝日新聞政治部で首相番記者になったばかりの私は、早朝から靖国神社の境内で首相の到着を待った。一般の参拝客、報道陣、警備の警察官……。境内はごった返していた。熱が地面から足に伝わって汗が止まらなかった記憶がある。

 

暑さがピークを迎えた午後1時44分、中曽根首相が訪れた。参拝を済ませた後、首相はテレビカメラの前に立って「いわゆる公式参拝だ。憲法には違反していない」と明言。ようやく念願をかなえたという思いが、首相の表情から見て取れた。この日は、海外出張中の2閣僚を除く全ての閣僚も、首相に従って「公式参拝」をした。

 

中曽根氏は周到だった。「政教分離原則」を定めた憲法との兼ね合いについて、官房長官の下に有識者の懇談会を設置。論議を進めて、参拝の仕方によっては憲法に抵触しないという報告書を受け取った。中曽根氏は神道の参拝形式を薄めたやり方で、歴代首相が見合わせてきた公式参拝を実現したのだった。

 

だが、「逆風」は海外から吹いてきた。中国で靖国参拝を公然と批判するデモが起きたのだ。当時、中曽根首相が個人的な信頼関係を築いていた胡耀邦・共産党総書記も中国国内で批判にさらされる。思わぬ展開に、中曽根氏は翌86年8月の参拝は見送ることになる。

 

その後、首相による靖国参拝は、小泉純一郎、安倍晋三氏らが行ってきたが、「私的」か「公式」か、などは問われないままだ。中曽根氏が周到に進めた公式参拝は一度だけで終わった。憲法上のハードルをクリアしたかに思えた中曽根氏だったが、隣国からの視線は厳しかった。戦後日本が抱える「歴史」の重さを物語る公式参拝劇であった。

 

(朝日新聞特別編集委員)

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