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私の8月15日 40年後に知った葛根廟の惨劇(藤原 作弥)2015年8月

玉音放送を聴いたのは朝鮮との国境の町、南満州の安東(現・丹東)で、8月15日正午、西本願寺の本堂大広間。敗戦と知った時、満8歳の軍国少年は「ウソ!」と叫んだが、やがて大人たちの嗚咽に加わった。勝利を祝うチャルメラやドラの音が響き、朝鮮族の「マンセイ(萬歳)!」という叫び声が聞こえてきた。

 

ソ連国境、満蒙の僻地・興安街に住んでいた私たち一家はソ連戦車軍団の侵攻を受け8月10日、同地を最後の貨物列車で脱出、同13日、安東に着いたのだった。それから約1年半、苦難の難民生活を余儀なくされたが、1946年秋、一家無事で日本に引き揚げることができた。

 

40年後、満蒙の興安街にいたクラスメイトを含む1千名以上の同胞が、ラマ寺院、葛根廟近くの草原でソ連戦車軍団に大量殺りくされた事実を初めて知った時、48歳の私は、地に伏して慟哭した。

 

(時事通信出身 78歳)

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