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夜回りは記者の道場 座談の名手だった松野頼三さん(井芹 浩文)2017年1月

火災で焼失したホテル・ニュージャパンには、ニューヨークの最高級ホテルのウォルドフ・アストリアと同様に、アパートメント部分があった。松野頼三さんと最初に会ったのが、そこの部屋だった。1982年2月のニュージャパン火災後、事務所は金丸信さんもいたパレロワイヤル永田町に移った。それに白金台の自宅。この3カ所に足しげく通った。

 

松野さんは、とにかく帰宅が遅い。というより帰宅は決まって午後11時15分ごろ。ある家を出るのが11時きっかりだったということは、つい最近、関係者から聞き、やっと合点がいった。

 

帰宅が遅いので、他の政治家のところを夜回りした後に、松野邸を訪れるのを日課とする記者も多くいた。私が担当したのは、三木政権時代の政調会長から総務会長という時で、政局のキーマンだったから、その時刻になると多くの記者が参集した。

 

待つ時は玄関脇の部屋や麻雀部屋だったりしたが、主が帰って来ると大きな暖炉のある居間に通された。松野さんは薪もくべるのだが、たくさん来ているダイレクトメールを封も切らずに次々と火に投じていたのが、なぜか記憶に残る。

 

そして午前2時ごろまで延々と座談が続く。松野さんの話の特徴は、2度同じことを繰り返すという点だ。だから聞き逃しても心配はいらない。またリフレインしてくれる。特に重要なこと、得意のこと、聞き留めてほしいことは2度しゃべる。記者が注文をつけると、それを取り入れ、少しバリエーションを加える。こうして話ができあがると、後日、公衆の前で話す。それでこなれた話になる。

 

だから松野さんの話はよく新聞に載った。最もマスコミで取り上げられた(今も取り上げられる)のは田中角栄氏だろうが、肉声で最もマスコミに取り上げられたのは松野さんではなかろうか。

 

そこで朝日新聞の羽原清雅さんが中心になって、すでに出版された本や新聞、週刊誌での発言録をまとめて、1周忌に出版したのが『政界六〇年 松野頼三』(文藝春秋刊)だ。私は三木政権時代を扱った第五章「政権中枢」と、細川政権から小泉政権までの第八章「政界指南役」を担当した。

 

羽原さんは編集後記で「この政治家は、新聞記者たちに、日夜、事務所でも自宅でもよく話してくれました」「そのユニークな解析や判断は私たち記者にとって、少しずつ蓄積され、財産になってきた」と書かれていたが、その通りだ。

 

記者会見場が政治家と記者の戦場ならば、夜回りなど記者懇談の場は双方にとって道場のごときものではなかろうか。優れた座談を聞いて記者は育つ。そこには常に緊張感があり、切磋琢磨があるものだ。松野道場はそんなところだった。

 

政界の寝業師、策士、はぐれガラス、ご意見番、首相の指南役―いろんな呼ばれ方をした松野さんだが、逆に三木武夫氏を「かめばかむほど味の出る鳴門ワカメ」と評し、小沢一郎氏をいつか爆発する「ガソリンのような男」と呼んだ。現代政治を「目のない碁盤の上で碁を打っている」と喝破した。地元紙・熊本日日新聞の回顧録で「政界の語り部になりたい」と語ったが、まさに座談の名手だった。

 

(いせり・ひろふみ 元共同通信論説委員長)

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