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好漢、早世を惜しむ 元財務次官の香川俊介さん(吉田 文和)2016年6月

あまりに早すぎる別れだったから、いささかの迷いがある。一方、だからこそ記憶が鮮明なうちに書いておくべきだとも思う。昨年8月9日、財務次官を退職後、1カ月余りで死去した香川俊介さんのことだ。重層かつ多彩な彼の人脈のごく周縁部に属するに過ぎない筆者ではあるが、人物像の一端を紹介する役割を果たしたい。

 

知り合ったのは、竹下内閣の時。官房副長官だった小沢一郎さんのもとに旧大蔵省から送り込まれた秘書官が香川さんだった。

 

ふてぶてしく、そのくせかわいげがある。懐の深い役所だから、強面の小沢さんに仕えるには、知恵ばかりではなく愛嬌と侠気を兼ね備えた人材でなければ持たないと判断したのだろう。小沢番記者は30代半ばが中心で、30代に入ったばかりの香川さんは弟分のような役回りだった。機敏にしてのりを超えず。小沢さんに気に入られ、外務省派遣の現マレーシア大使、宮川真喜雄さんと絶妙の秘書官コンビだった。われわれとも小沢さんを中心に濃密な時間を共有する戦友、同志ののりだった。

 

ワシントン勤務中の1997年、ロンドンのヒースロー空港の雑踏で偶然、再会し、彼との不思議な縁を一層強く感じた。お互い「えー、何しているの」。底光りのする目を丸くして笑みを浮かべた。そんなこともあり、当方の勝手なご縁意識で、帰国後も、いろんな場面で彼の人脈、見識に助けられた。

 

小沢さんは早くから「香川は偉くなるぞ」と予言していた。エリート官僚につきものの秀才くささは毛筋も見せなかったから、正直、小沢評はぴんとこなかった。主計局長、次官として消費税率引き上げまで持っていったパワーを見よ。秘めた実力を見抜けなかった眼力不足を恥じる。

 

良くも悪くも小沢さんとの近さが香川さんの官僚人生に陰影を落としていた。小沢さんの全盛時には「若手の政治家が、こわごわと見るんですよ。言いつけられると思っているのかなあ」と面白がっていた。酒席では「虎のように怖かったですよね」と小沢話で盛り上がるのがお約束だった。だが虎の威を借りるような人ではなかった。むしろ自民党政権下で嫌なことの方が多かったのではないか。

 

めったに愚痴を言わなかったが、小泉政権以降、自民党幹部から事あるごとにたたかれた。比類ない人脈の幅と深さゆえに警戒されたのだろう。「もう辞めてやろうかな、来てくれという人もいるし」と民間への転身を漏らしたことすらあった。官僚に誇りを持っていたから逃げなかったのだろう。消費税率引き上げ反対に転じた小沢さんに対しても、役人としての筋を通していた。

 

昨年6月26日、次官室に訪ねた。机にちんまりと座っている姿に言葉を失った。「死ぬかもしれない」と切り出され「人生、理不尽だね」と慰めにもならない言葉を漏らすと「そんなことないよ。ここまでやれたんだから」。密度の濃い官僚道だったと思う。

 

「退官まで頑張る。(小沢)先生に挨拶に行かないといけないなあ」と問わず語りに語った。「疲れた」と沈み込むような声を潮に部屋を後にした。

 

昨年9月30日、青山葬儀所でのお別れの会は、近年、政官界関係では記憶がないほどの参列者であふれていた。初めてお会いした奥様らご家族に一礼しながら思い起こした。「娘は歴女なんだ」。激務の合間を縫ってお嬢さんと楽しんだ歴史めぐりの道中をうれしそうに語っていたことを。 

 

(よしだ・ふみかず 共同通信会館代表取締役専務 元共同通信社常務理事)

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