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「韓国流通の父」と呼ばれた日本人 ロッテショッピング元副社長 秋山英一さん(藤井 通彦)2015年6月

「人と人のつながりが、いつかは国と国の関係を変える」―。今の日韓両国を念頭にそんなことを口にすれば、少々ナイーブに過ぎると思われるかもしれない。首脳同士が一度も本格会談していない異例の事態、双方の国民感情も年々悪化しているとされる状況でだ。

 

しかし、それでもあえて言いたい。国と国をつなぐのは、人間同士の誠実な日々のコミュニケーションの積み重ねであると。ある人を思うたび、その確信は強まる。

 

秋山英一さん(89)と最初に会ったのは、ソウル支局勤務時代の2003年。在韓日本人の集まり「ソウル博多会」だった。会の重鎮、笑顔を絶やさない白髪の老紳士が1970年代後半、韓国初の本格百貨店開業の立役者であり「韓国流通業界の父」と呼ばれる人物であることを程なく知る。

 

九州出身の秋山さんの人生に抱いた強い関心は、離任後西日本新聞での聞き書き連載「変わるもの 変わらぬもの」、さらに加筆した拙著『韓国流通を変えた男』(西日本新聞社刊)につながった。

 

秋山さんは福岡の旧制中学修猷館を経て早稲田大学に進学。卒業後、51年の三越入社以来、百貨店一筋の道を歩んだ。大阪店部長時代に故郷の百貨店「玉屋」に移り常務まで務めたが77年、「やり手」とのうわさを聞きつけたロッテグループの重光武雄氏から突然のヘッドハンティングを受け、韓国ロッテ百貨店の事業本部長として開業に向けた一からを任されることになる。

 

50歳を過ぎての転進話。断るつもりだったが、重光氏から「とにかく一度」と言われ見学したソウルの様子に「無限の可能性」を感じて、心変わりした。プロの流通人の魂とあくなき好奇心が、彼を新しいステージに導いた。

 

「国の威信」を賭け、当時の朴正煕大統領の肝いりでつくられたロッテ百貨店での秋山さんの仕事は、韓国の流通業界を根底から変えた。

 

地下食料品売り場でのノリやキムチの小分け売り、最上階のレストラン街設置、韓国初のバレンタインデー商法の展開など、秋山さんが手がけた小売戦略の数々は、今や韓国の百貨店では当たり前になった。

 

白眉は、店員による深々とした「日本式おじぎ」の導入だろう。「見知らぬ人に軽々しく親しい態度を見せない」という儒教的慣習の抵抗に遭いながらも、客への感謝の意義を説き自ら実践して、無愛想だった店員の接客態度を百八十度変えた。普通だった業者からのリベートも排除した秋山さんが韓国に持ち込んだものは、商売を単なる「売り買い」ではなく、相手へのもてなしと表裏一体としてとらえる、倫理性の高い近代小売りの精神だった。

 

韓国の流通と消費文化を変え、今や世界的規模を誇るロッテ百貨店を支えるのは、秋山さんの「弟子」たちだ。約30年の韓国生活を終え帰国後も、彼を慕う人々の招きに応じ渡韓しては旧交を温め、なお教えを請われるという。

 

「怒らず、叱らず、悲しまず」。秋山さんが韓国の人々と仕事をする際のモットーにしていた言葉だ。歴史や文化の違いをわきまえた上で、決して感情的にならない。相手をあくまで尊重しながら、粘り強く話し合い共通の目標を設定して、そこに向かい進んでいく。

 

国交正常化から50年。依然波高き日韓関係を考える上で、国の枠を超えた一人の流通人の軌跡から得られる示唆は、極めて大きい。

 

(ふじい・みちひこ 西日本新聞東京支社長)

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