取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
わかったよ、日本にはまねできないことが(飯尾 歩)2013年1月
阪神大震災の時、たまたま大阪にいた。
宿泊先は難波の高層ホテルの中層階だった。よく揺れた。しけに襲われた小さな釣り船に乗っているような気分になった。地震とは思わなかった。ホテルの建物自体に何か異変があったのだとしか思えなかった。
当たり前だが停電した。廊下に出て周囲を確かめた。遠くで複数のサイレンが鳴っていた。ホテル自体に火災はないようだった。
エレベーターは止まっていた。テレビをつけたが、詳しい情報は、まだ入っていなかった。商品の棚がグチャグチャに崩れた京都駅前のコンビニの映像が長々と映し出されていた。
仕方がないのでもう一度ベッドに潜り込んで、二度寝を決め込むことにした。十七階から非常階段を下りるのが面倒だった。
眠れなかった。何度も余震が襲ってきた。いつの間にか慣れてしまった。そのまま暫く天井を眺めていた。
オンカロの周囲でいろいろな人の話を聞くうちに、なぜか、二十年近くも前のことが思い出された。
この世には二種類の国がある。地面がしばしば揺れる国と、地面の揺れを知らない国だ。
そして、私たちは、地面がしばしば揺れる国から地面の揺れを知らない国に来たのだと。
十数億年まったく動いていない地層、フィンランドは厚いよろいを着た国だった。縦と横しかない国の住人には、高さというものは永遠にわからない。同じように、私たちにはきっと、人口五百五十万弱のこの国が、七基もの原発を持とうとしている心理を結局わかり得ないのではないか。
オンカロを案内してくれた地質学者が笑って言った。
「ここの地盤ができたあとで、ヨーロッパとアメリカが二度くっついて二度離れたよ」
だからだろうか。世界初、注目のオンカロはその名の通り、極めてシンプルな洞穴のようにも見えた。ここではそれで十分なのだろう。
わかったよ、十分だ。日本にはまねできないということが。
私たちは、幸か不幸か、よろいもかぶとも持っていない。荒波に翻弄される小舟のような国土で、この先も暮らしていくしかない。
すでに出してしまった、大量の高レベル放射性廃棄物、きわめて危険な核のごみを、穴の中に放り込み、百年後にはふたをして忘れてしまえるような身分じゃない。
目に見える範囲、手の届く距離で何とか保管(とても怖いことだけど)して、その時の科学の粋を尽くして必死で管理するしかない。たとえ、十万年かかろうと。
(中日新聞社論説委員)