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第9回(ハワイ)米軍基地(2012年1月) の記事一覧に戻る

ミズーリと大和(五味 洋治)2012年1月

今回の米軍基地訪問は、おもに朝鮮半島情勢の取材に取り組んできた私に、新たな視野を与えていただいた。あらためて関係者の方々にお礼を申し上 げたい。

 

特に戦艦ミズーリの見学は印象に残った。戦前の日本が誇った巨大戦艦・大和とほぼ同じ時期に建造されながら、ミズーリは戦後まで生き残り、三つ の大きな戦争を戦った。一方の大和は、今九州沖の海中に沈んでいる。その違いには、戦争に対する日本と米国の決定的な姿勢があったと思えた。

 

ミズーリは一九四四年に就役した。主砲は四〇センチ砲で、甲板に立つとその巨大さに圧倒される。いったん現役を退いた後、一九八六年に現役復 帰。新型のレーダーや通信機、トマホークやハープーンといった新型対艦・対地ミサイルが搭載された。われわれが見学したコントロールルームには、 最新鋭の兵器を扱った機器類があり、往事を偲ばせた。

 

巨額な維持費がかかることから退役し、一九九九年から記念館として一般に公開されている。

 

同艦には、船底部分に原始的なコンピュータが設置され、砲身の制御に使われていた。さらに、蓄積されていたデータは、艦内のあちこちにバック アップされ、攻撃を受けても復旧できるよう工夫がされていた。最新の設備と、最悪を予想した設計思想があった。

 

戦艦大和は、一九四一年暮れに竣工。日本海軍がハワイの太平洋艦隊を急襲した「真珠湾攻撃」から八日後のことで、分厚い鉄板をふんだんに使った 「不沈艦」だった。

 

米国は、真珠湾攻撃で、航空機からの魚雷攻撃で戦艦が沈められたことから航空戦力の充実に乗り出した。特に空母の建造に全力を挙げ、最盛期には 大型、小型を含め一週間に一隻の空母が進水していたという。

 

航空力に大きな差がつくなか、大和は一九四五年四月、鹿児島県坊ノ岬沖でアメリカ海軍の波状攻撃を受け、三千三百三十二人の乗組員とともに沈没 する。大和に戦闘機の護衛はなかった。

 

初戦の手痛い敗北から学んだ米国と、時代の流れを把握できなかった日本。

 

ハワイの明るい光を受けて、観光客でにぎわうミズーリ号は、今もわれわれに多くのことを語りかけている。

 

(東京新聞編集委員)

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