ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


私の取材余話 の記事一覧に戻る

私とベトナム④ 焼身自殺と車(田中 信義)2011年8月

ベトナムの中部のフエはベトナムの京都だ。1803年から1945年まで13代に亘って栄えたグエン王朝の都だった。ベトナム戦争中何度かフエを取材した。私にとっては古戦場だった。1968年1月には北ベトナムと解放戦線によるテト攻撃でフエは一時北側に占領された。今もその時の弾丸の傷跡が王宮の城壁に残っている。1993年にはグエン朝の王宮を中心に世界遺産に登録されている。


今や観光地として世界中から訪れる人も多い。


フエは街全体が悠然として荘厳な雰囲気を保っている。グエン朝の歴代の皇帝の廟があちこちに建っている。それを見て回るのも楽しいがくたびれもする。


その内の一つ第4代のトゥ・ドック帝(嗣徳帝)の廟良謙殿が市内はずれのフォーン川べりにあった。


2010年3月このトゥ・ドック帝廟良謙殿を訪れた。境内を散策しているとき一台の焦げ茶けた車が展示されているのを見つけた。なんだろうと説明書きの立て札を読んだ。ベトナム語と英語の説明があった。


「この車は1963年6月11日尊師チック・クアン・ドック師(当時66才)がサイゴンのアン・クアン寺からアメリカ大使館前の目抜き通りに向かった際使用されたもの。尊師は車からおりると蓮華座に座り、時のゴ・ジン・ジェム政権の仏教徒に対する弾圧と宗教の自由の略奪に抗議、焼身自殺をした」

とある。驚いた。これがあの時の車か、と思った。


チック・クアン・ドック師の焼身自殺のニュースはたちまち世界中に広まった。炎を全身に浴びた写真はショックだった。


これをきっかけに僧侶の焼身自殺は体制の圧政に対する抗議を示す手段として日常的となり僧侶たちも事前に焼身自殺があるから取材するように予告の電話をかけてきた。それっとばかりプレスがあわてて現場に駆けつけるなど異常な光景が見られたものだった。


ゴ・ジン・ジェム大統領の義妹マダム・ヌーはアメリカのテレビインタービューでこの焼身自殺を「人間バーベキュー」と発言、さらに国民のジェム政権への反発を招いた。11月のクーデターでジェム大統領は殺害された。


たまたま近くにいた僧侶になぜここにこの車があるのか聞いた。いきさつを知っているものは誰もいなかった。15才の若い僧侶は携帯でゲームに夢中だった。なぜ僧侶になったのかと聞いた。「べつに、ただお寺のビデオ見て面白そうだったから」と屈託のない表情で答えていた。


改めて帰国して当時の写真を調べた。チック.・クアン・ドック師がガソリンを浴びて黄色の炎に包まれている。これを多くの僧侶が取り囲み読経を続けている。


チック・クアン・ドック師が炎に包まれているうしろに一台の車がバンパーを開けたまま写っている。昔は見過ごしていた。車体の色も同じだ。


それにしても珍しいものとの出会いではあった。


(2011年7月21日記 元NHK記者)

前へ 2024年03月 次へ
25
26
27
28
29
2
3
4
5
9
10
11
12
16
17
20
23
24
30
31
1
2
3
4
5
6
ページのTOPへ