ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


第7回(カンボジア、タイ、ラオス)回廊が結ぶメコン流域圏(2008年2月) の記事一覧に戻る

(ほぼ)初体験のアジア大陸(永井 卓)2008年2月

  社会部暮らしの長かった私にとって、アジア取材団に加わっての今回のインドシナ訪問は、ほぼ初めてのアジア大陸経験だった。数少ないアジア経験といえば、マニラのクーデター取材と観光で訪れた香港(ホテルが尖沙咀だったので一応アジア大陸ではある)しかなかった。というわけで、かなり興奮状態で成田を飛び立った。

 ・・・・はずなのだが、帰ってきて考えてみると、おどろくほど覚えていること(=取材の成果)が少な い。記憶していることといえば、シェムリアップのホテルから散歩に出たらいきなりニワトリに出くわしプノンペンの市場でもニワトリが歩いていた、アンコール遺跡では大人4人でプノンペンでは一家5人でそれぞれ1台のバイクなんて当たり前、プノンペンでもバンコクでもそこら中に安っぽい印刷ものの春聯(しゅんれん)が下がっていた、タイにはカーネル・サンダースのイラストが2種類ある(ような気がする)、ビエンチャンに東京タワーのミニチュア(といっても高さ50m以上か)がある、ビエンチャン郊外の日系工場では「社員食堂」に壁がなくて屋根しかない、といったことばかり。おまけに、ビエンチャンの市場で買った芸能雑誌が、実はタイのものだったというオチまでついてしまった。

  いったい何をしに行ったのだろうか。出発前とくに「形にして来い」と言われていたわけではなかったが、どうしたものかと思っていたところ、案の定「BS朝日のニュースに出演して報告しろ」との業務命令だ。テレビ出演は8年ぶり、ましてスタジオ生(なま)なんていつ以来だか本人も忘れている。コレハエライコトニナッタ。

 あわてて、取材メモを整理し資料を読み返して方向性を決めた。やはり印象に残っていたのはカンボジアの活気と混沌だ。とくに、たった50㎞走っただけでも七変化する国道1号沿いの人びとや街の表情を中心に報告しよう。国道1号にはGMS(今回見た部分ではないが)や日本のODAの資金も入っているからお世話になった方々にも格好がつくし、と、取材団という割には軟派な企画を出した。ところがである。アシスタントについてくれた女性ディレクターが優秀で、できあがったVTRはちゃんとGMS報告になっていて、しかもタイ・ラオス両国の首相の会見までつないであるではないか。立派に硬派(言いすぎか)の企画になっている。ありがたや、これなら記者でもディレクターでもなく、ゲスト出演の識者の気分だ。あとは何を話すかだけ考えればいい。

  ところが、実際のスタジオでは話の順番を間違えてしまったうえに、この日が秋田連続児童殺害事件の判決だったためにその解説までするはめになった(一応司法クラブ経験者ですが)。やはり日ごろの精進が大切だと思い知った一日だった。

 これはもう一度この地を「きちんと」取材せねば、と捲土重来を期している。何より、本当にサンダースおじさんの顔が2種類(顔の皺が多いのと少ないのと)あるかどうか確認しなければならないから。

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