ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


第7回(カンボジア、タイ、ラオス)回廊が結ぶメコン流域圏(2008年2月) の記事一覧に戻る

さつきさんとの再会(本庄 五月)2008年2月

  事務局から素人カメラマンとして同行した。道中、参加メンバーの皆さんが取材する姿をカメラで
おった。独自の企画ものを予定しているためか、実によくメモをとり、食い入るように話をきく。事務局職員の私にとっては取材団に同行したこと自体が、刺激あふれる貴重な体験であった。

 今回は個人的に10数年来の友人に会うという楽しみがあった。友人の名前は川田さつきさん。私と同じ名前である。元フォーリンプレスセンターのスタッフで、石川総務部長の知人でもある。東京で出会ったシンガポールの外交官と恋に落ちて、結婚。以来、シンガポールに在住している。現在は3人のお子さんがいる。そのさつきさんがご主人の転勤で昨年からカンボジアのプノンペンに来ているのだ。

 初めて訪れるカンボジアもさつきさんがいると思うと、なぜだかとても心強かった。 当初の予定では、宿泊先のホテルに招いて昼食をともにするはずであった。が、取材団のスケジュールが立て込んでしまい、私たちの移動先に来ていただくという形になってしまった。

 7、8年ぶりに会うさつきさんは、ちっとも変わっていなかった。カンボジアでの生活ぶりを聞いてみると、やはり独特の緊張感が漂っているという。治安はあまりよくなく、外国人を狙った盗難が頻発しており、ご主人が夜間に銃声を聞いたこともあるという。

 最初は慣れなかったけれども、徐々に今の生活になじんできているという。何よりもカンボジアは小乗仏教の国なので、日本人にはどこか親しみやすさがあるらしい。 1年中夏のシンガポールと比べて、カンボジアには少しだけ四季があるという。その季節感も日本人にとっては、ありがたく感じるものらしい。

 治安に心配はあるものの、南方系の人々はのんびりしておおらかだという。シンガポールの学校は詰め込み式だけれども、ここプノンペンの学校はゆったりしていて、お子さんも伸び伸び暮らしているという。難点はスポーツくらいしか娯楽がないこと!!

 そのさつきさんとプノンペンのセントラルマーケットを歩いた。野菜など食材、衣類、貴金属なんでもありの巨大市場である。中にはニワトリが売られているコーナーもあり、鳥インフルエンザ危険地帯のようなところを抜き足差し足で通り抜ける。お昼休み? のせいか地べたに寝ている人もいて、まさに市場自体がカンボジアの人々の生活そのものである。

 さつきさんは夕食用にほうれん草や数種の野菜を購入。
  「とてもおいしいのよ。でも一晩でだめになってしまうのよ。主婦としてはつらいわ」と、ためいき。どうやら農薬を使っていない有機栽培らしい。農業国のカンボジアでは有害な農薬を使用しない有機農法に力をいれているという。プラシット・カンボジア商業相も取材団との会見で、 カンボジアの有機農業の魅力と自然指向高まる日本市場への参入の抱負を語って いた。

 カンボジアの農業でもうひとつ印象に残っているのが、日本企業の方から聞いたお米の話である。

 カンボジアのお米は太陽をいっぱい浴びて、自由にのびのび育てているので、とてもおいしいと
いう。が、精米所などのインフラや流通網が整っていないので、収穫後そのままの状態で放置され
ているお米がけっこうあるらしい。そんなおいしいお米にベトナムや中国の企業が目をつけて、安い値段で農家から買い取って、自分のところで精米して販売しているという。「いいものがあるのに、それを生かせるインフラさえ整っていればねェ」と言っていたのが印象的であった。

 今回の取材団の目的は、東西回廊などの道路整備で一体化が進むメコン流域圏の実情を垣間見ることであった。カンボジア、ラオスなどの後発発展途上国の経済飛躍への期待が、多く語られるなか、その一方で、両国が統合の中で埋もれてしまうのでは、という懸念の声も時折、耳に入った。
  お米の例のように、たとえ地域の一体化が進んでも、おいしいところだけを外国にとられてしまうのではないか、ふとそんな懸念も心によぎった。

 カンボジアの土は赤茶である。砂埃が舞い散っており、白いシャツを着ていても1日の終わりには自分も赤茶色になってしまう。枯葉剤の影響か手のない子どもにドルをねだられたり、貧困の姿も胸をつく。ポルポト政権が人々に与えた心の傷が大きく、それが人材育成を阻んでいる要因になっているとも聞いた。

 そんなカンボジア、癒しの国ラオスでも、印象的だったのは、子どもや若者の表情がとても明るいのである。手を振ると、その多くがくったくなく返してくれる。両国とも若年世代がたくさんいる若い国なのである。日本には多くの物があふれている。でも明るい笑顔を見ていると、なにか日本人が失ってしまったような、純粋さ、ひたむきさ、人間が本来持っている力強さのようなものを感じてしまうのだ。

 東京にいたときのさつきさんは、色白美人であった。いまは少し日焼けして小麦色の肌に。「大らかにならないと、やっていけないわね」。シンガポール、そして今はカンボジアで暮らすさつきさんの笑顔も逞しくまぶしかった。

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