ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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韓国への構え、凝りがほぐれた(山本 雅章)2009年9月

 韓国へは初めての訪問。ごくごく短期間の取材行だったが、今回も自分自身の無知と偏見を再認識する旅になった。大阪の生まれで、学生時代が朴正熙政権の末期、京都で仕事をしていると、直接的に知っているのは在日韓国・朝鮮人の人たち。民主運動の活動家や学者・言論人、芸術・演劇関係者など、知り合いや取材相手もいた。その人たちの主張に強い抵抗感はなかったが、共通した「熱さ」にやや違和感を覚えていたのも事実。
 仕事も含め中国へは8回、ASEAN諸国へは7回訪問しながら、韓国へは観光でさえ足を向けなかった原因は、やはり「在日」という限られた人たちへの皮相な印象を本国に投影した「敬して遠ざく」意識があったのだろうか、と今は思っている。
  日程4日目に全州市で取材した、ウリ党議長選挙合同演説会の文字通り鉦や太鼓の応援団、大音響の絶叫調演説など、私にとってはイメージ通りの韓国の風景だった。しかし、会場の体育館の外には、それとは違う小雨の冬の日の静かな日常生活が存在し、体育館の廊下や周辺でさえ、「まあ、お決まり通りの進行で」とでもいった顔の人たちが、時間の経過を待っているようにも見えた。当然といえば当然のことなのだが、「韓国もそうなのだ」ということを想像する力と知識が、やはり自分の狭い知見からでは欠落しており、これがまあ偏見に他ならないのかと思い至った。
  さらに、韓国の有力政治家やジャーナリストたちとの懇談でも、竹島(独島)や小泉首相の靖国参拝など日韓の問題や朝鮮半島の南北統一問題についても、口角泡を飛ばし、顔面を紅潮させて熱弁をふるうという場面には出くわさなかった。相手は、大物政治家や知日派言論人で、なおかつ懇談の場であり、まったく当然といえば当然なのだが、多少は冗談めかしてでも、いくらか刺激的な意見も聞けるかと思っていたので、こちらもやや予想外だった。ただ、それが拍子抜けというよりは、もはやそうした問題でも構えることなしに自然な取材、懇談の場が持てる関係にあるのだという、現在の日韓関係の「確かさ」の状況を認識できたという意味で、私にとってはやはり収穫であった。
  それと、ごく限られた時間と見聞の中での単なる印象なのだが、韓国の人たちの生活面でのゆとりと心理的な安定感といったものが、現代日本のそれとほとんど同質なのではないかとの「共通感」を得た。それは、もはやこの国も対日本や対北朝鮮で『金持ちけんかできず』という水域に入りつつあるのではないか、というようなものである。これもまた、見当はずれの誤解、新たな偏見かもしれないが、いずれにしても私自身の韓国に対する構え、凝りが少しはほぐれた有意義な旅となった。この経験を、今後の新聞人としての仕事に少しでも反映させたいと願っており、末尾になりましたが、今回の取材行でお世話になった皆様に、この場をお借りして改めて感謝申しあげます。

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