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いまもくすぶる「60年安保」(羽原 清雅)2010年8月

 死刑廃止論に組するかどうか。アムネスティに参加しつつ、この結論は出せないまま、今に至っている。同様に、「安保」も、現状のままでいいのか、という迷いの中にある。

 ◇ ◆

 50年前のあの頃、ほぼ連日、早稲田車庫から貸切電車を連ねて、清水谷公園に集合した。立錐の余地もない車内で、カンパ袋が廻され、なけなしの金を入れた。ノンポリながら、ひとつは日米安全保障条約の効用への疑問、もうひとつは岸首相と国会のあり方への批判――この二点を強く感じていた。
 学内は騒然と言うか、熱気が立ち込めて、みんな生き生きとして、生き甲斐のみなぎるような日々が続いていた。教授たちも、クラス討論にかなりの時間をくれた。クラスメートには、あまり授業には出なかった別役実がいた。参議院に出た柔道の吉村剛太郎がいた。いま思えば、右も、左も、一生懸命だったように思う。
 非暴力を説いた七社共同宣言に反発して、クラス雑誌に長文の批判を書いたりした。要は、「メディアは群れるな」というつもりだった。学生運動の内部抗争をやめ、統一行動が必要、といった青臭いことを学生集会で言ったら、対立する両派から引きずりおろされたことを思い出した。
 60年安保は、先端的過激派が跳梁して悲壮、皮相というか、暴力的というか、ついて行きにくい数年後の「70年安保」時代とはかなりの違いがあった。過激派の狭隘な内部的興奮が引き起こした殺りくは、それ以来学生たちの政治活動の息の根までも止めてしまった。憲法にうたわれた平和理念や、戦前の反省の色濃い民主主義への思いが大衆を立ち上がらせた感のある「60年安保」とは、大きく様相を変えていた。

◆ ◇

 50年経ったいま、まず政治面ではどうか。
 自民党政治は、長年のマンネリ手法と非改革志向を見抜かれたうえ、飽きもきて、民主党にバトンタッチした。その新政治も、スタート早々ながら、政策面でも、党内紛糾でも、不穏を漂わせている。双方とも、ときに「数」に頼んだ強硬策をとる。「二大政党制」をうたう小選挙区制度を採用しながら、「連立」なしでは政権を維持できない。また、たがいに「ねじれ国会」の困惑を経験しながら、問題法案などについて修正協議をする、といった方策も出てこない。
 このように、政治対応にはあまり大きな変化や成長は認められない。一方、良くも悪くも迫力のある政治家が影を潜めてしまったことは否定できない。
 また、有権者の側は、かつては硬派的というか、偏狭というか「まじめ一本」の風潮が強かったが、無党派層を含めて、幅が広がり、さまざまな見方が存在するようになった。テレビの影響か。その一方で激変を感じるのは、若者たちの政治への関心が極めて薄らいだことだ。どの大学に行っても、政治を語る学生は極めて少なく、立て看の姿もない。
  もうひとつの安保問題自体については、迷いが続く。
  日米同盟の重視はわかるにしても、普天間問題にしても、地位協定の課題にしても、ものをいわない日本のあり方はおかしくないか。政権が代わっても、「自動延長→不問」の状態は変わらない。「言えない」状況が定着しすぎていないか。沖縄の「怒り」を、地域の問題にとどめすぎていないか。
  安全とは、なにからの安全か。中国から、北朝鮮から、ということだろうが、その脅威に対応する軍備はどこまでを想定したらいいのか。和平に向けた外交と、脅威を前面に押し出した軍事面との比重バランスはこれでいいのか。
  そんな疑問が消えない。説得力がない。したがって、現状肯定、という気にはなれない。

◇ ◆

 戦争被害を知る世代であり、平和憲法がアピールされるなかで教育を受けた時代の「かせ」に絡み取られたような気分もないではないが、戦後の「歴史」の大きな流れは誤っていなかった、という思いはある。国家・権力と国民・市民・大衆との関係を考えるとき、過去の歴史からすれば、国家優位のかたちがいい、とはどうも思えない。
  たとえば、ことしのヒロシマ・ナガサキの集会には、中途半端の米国をはじめ英仏といった核保有の国家代表が初めて参加した。65年の歳月を経てやっと、この被爆・反核の会議は形のうえでは国際化した。   
 日本の権力は戦後、核保有大国のカサに入ったことでの気兼ねや、また平和志向の憲法にあきたらないことなどもあって、唯一の被爆国と口にしながら、非人道的なヒロシマ・ナガサキの実態を国際的に強く訴える努力を怠ってきた。民間が頑張るだけでは限界があり、本来は国家としての政府が、外交が、もっともっと力を入れるべきであった。いざというとき、国家は犠牲を強いることはあっても、われわれをほんとうに守る気構えでいるのか、という信頼がなお薄い。

◆ ◇

 このような現実を見るとき、安全保障のあり方にも矛盾した点を多く感じて、その迷いから抜け出せず、「60年安保」の背後霊に付きまとわれたままだ、と苦笑せざるを得ない昨今である。  
                                  (元朝日新聞記者・1938年生まれ 2010.8記>
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