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ダボス会議 中国の積極外交と日本の内向き志向─言力政治の巧拙─(小島 明)2006年3月

 2006年1月末に開いたダボス会議は、中国とインドの積極外交の大舞台となった。会議全体の主題も、ずばり「中国とインドの台頭」。会議は非政府組織(NGO)による民間の会議だが、中印両国とも政府が直接仕立てた大型の使節団を送り込み、田中明彦氏が言う「ワード・ポリティックス」ないし「言力政治」を最大限に演じ、その存在感を強烈に印象づけた。

 今年は89カ国から元首級15人、閣僚級約60人をはじめ多くの多国籍企業トップを含む約2300人が参加し、討議の様子は各国メディアや主催者であるWEF(ワールド・エコノミック・フォーラム)のウェブサイト、音声付のウェブ放送等を通じて詳細に世界に向けて伝えられた。

 ことしの主要国首脳会議(G8サミット)の議長国であり「エネルギー外交」をめぐって世界的な論争の渦の中にいるロシアがほとんど参加しなかったといった不自然さもある会議だが、それだけに春節直前のぎりぎりの日程調整をして参加した曽培炎副首相ら中国グループの存在感が増した格好である。曽副首相らは「中国の発展なくして世界の発展はない」と断言した。「中国の輸入は世界第3位、市場を提供して世界の成長に貢献している。日本や欧州の貢献は少ない。日欧ともグローバルなエンジンではなくなった」といった中国参加者の遠慮のない発言があった。タイ出身のスパチャイ世界貿易機関(WTO)前事務局長は「中国にとって良いことは、世界全体とは言えないまでも、アジア地域にとって良いことだ」とまで言い切った。

 会議開催中に中国の昨年の国内総生産(GDP)が実質9・9%も伸び、フランス、英国を抜き世界4位のGDP大国になった可能性もあるとのニュースも流れ、「世界のエンジン・中国」のイメージが一層濃くなった。もちろん、中国は国内には深刻な格差、環境劣化、腐敗、設備投資の過剰など多くの問題を抱え、対外的にも強引なまでのエネルギー・資源確保政策で摩擦を起こすなど、直面する課題も多い。しかし、中国はことし、明らかに、このダボスの大舞台を最大限に活用する戦略をとった。

 ともに「テーマ国」となったインドは、中国に対する対抗意識を露出させ、100人を超す、これまた実質的な政府ミッションを送り込んできた。インドの売りは「世界で最も高成長を続ける民主主義・自由経済」であり「情報技術(IT)、ソフトウェアをはじめ多くの分野での高い技術水準」である。インドはダボス会議用に特別のロゴまで作り、胸のバッジやホテルの垂れ幕に掲げた。

                  ■言葉で訴える「場」の発信力
 
 一方、世界第2位のGDPを有する日本は、この大舞台でいつも過度に控えめである。参加者が少ない。とりわけ閣僚の参加が少ない。ことしは二階俊博経済産業相、竹中平蔵総務・郵政民営化担当相らが顔をみせたが、中国の曽副首相が2000人もの聴衆を前にした「全体会議」をフルに活用したのに対し、100人程度しか集まらない分科会しか舞台がなかった。しかも「小泉改革は持続するか」といったテーマで「国内的な議論」をしただけだった。

 閣僚、政治家の参加に関してだが、昨年は閣僚と野党の幹部がドタキャンしてしまった。国会審議の日程上の理由だという。だが、国会日程を与野党で調整して、この大舞台を利用するという発想は無理なのか。昨年は、G8の議長、ブレア英国首相が冒頭の全体会議で大演説をぶち、しかもサミットのテーマをこの舞台ですべて発表し、このとしの世界の議論をリードした。

 「ソフトパワー」論のジョセフ・ナイ氏や田中明彦氏が言う通り、軍事力でも権力政治でもなく、文化や構想力の魅力をはじめとする非軍事の様々な魅力が持つ影響力がますます重要になりつつある。また、それを言葉で訴える「言力」が重要になる。それをタイミングよく、また舞台、あるいは「場」自体が発信力を持ち、人々を引き寄せる磁力を有する「磁場」でその「言力」を発揮することが重要である。ダボスの舞台も、少なくともそうした「磁場」のひとつである。

 世界政治における通説なるものも、こうした舞台、磁場を通じて形成されることが多い。しかも、ひとたび通説になってしまうと、あとでいくら証拠を用意して反論しようとしても、なかなかひっくり返せなくなる。1997─98年のアジア通貨・金融危機の際の議論がその一例である。日本は危機発生の直後から具体的な支援措置も講じたし、支援国会議を主導するなど、日本としてはこれまでになく即座に適切な措置を講じたと言える。だが、危機直後のダボス会議のヒーローは「アジア危機を食い止めるためにもわれわれは人民元の切り下げは行わない」と大聴衆の前で繰り返した中国だった。中国はアジア危機の数年前に大幅な元切り下げを行っており、その後の中国の経済動向を考えれば、切り下げなどできるはずもなかった。にもかかわらず、何もしないという政策で中国はアジアの救世主だという「通説」がダボスで生まれた。そのとき、日本の発信は少なかった。

                   ■ASEAN諸国の懸念

 「アジアの日中印3国関係」についてのセッションでは、「日本がどんなアジア戦略を持っているのか、ほかの分野もそうだが、日本の考えていることがわかりにくい」とシンガポールの某氏が指摘した。悪化した日中関係への関心もあった。「靖国」は次第にグローバルな言葉になりつつある。そのことは、日本人の心情は別とし、現実問題として「靖国」は単に日本の国内問題である段階を越えた。ある意味で、単なる日中2国間問題をも越えた面がある。

 日本国内では「靖国で譲っても中国は次の対日カードを持ち出してくるだけ」という議論があるが、アジアの参加者の一人は「靖国問題をうまく処理しないと、これまでの日本の度重なる謝罪も本気でなかったとアジア諸国に受けとめられてしまいかねない。その行き着くところは日本の孤立になりかねない」との懸念を打ち明けてくれた。領土にからむ紛争は世界中にたくさんある。だが、それらはもっぱら当事国同士、2国間の問題にとどまる。

 中国の台頭を目の当たりにして中国脅威論も当然、存在する。ダボス会議では中国は「平和的台頭」論を繰り返し、輸入市場の提供を通じてアジアと世界の経済のエンジン役を果たしていることを強調した。中国はまた、「アジアの地域統合において東南アジア諸国連合(ASEAN)のイニシアチブが重要であり、これまでもASEANの貢献は大きい」とASEAN諸国をしきりに持ち上げた。そのASEAN諸国に対して、中国は開発支援の援助を顕著に拡大しつつある。日本は、政府開発援助(ODA)執行の組織改革にばかり傾注し、援助理念をしっかり鍛え損なってはいないだろうか。

                ■グローバル社会での座標軸を

 1991年は日本のバブル景気が崩壊した年だ。その年に旧ソ連は崩壊し、冷戦が終わり、世界中が活力ある経済を築こうと一斉に制度改革大競争を展開した。古い制度はどんどん捨てられた。どこの国にも既得権、それを守ろうとする抵抗勢力はあるが、多くの国が「発展する未来」を選択した。ダボスのテーマ国となった中国は91年のソ連崩壊を見せ付けられながら危機意識をもって92年に改革・開放へのアクセルを一気に踏み込んだ。中国に10数年おくれたインドの改革が91年に行われたことも象徴的である。日本を取り巻く世界の状況は91年を分水嶺としてパラダイムシフトを見せた。

 日本はたまたま同じタイミングでバブル崩壊とそれに続く長期大停滞にはまり込み、こうした世界の新しい現実を直視しそこなったきらいがある。ダボスに吹く時代の風にあたって、世界の時代潮流と日本の国内論議とのズレを痛感させられた。

 バブル崩壊後の三つの過剰(雇用、設備、債務の過剰)への後ろ向き調整がほぼ完了したいま、日本の経済・社会がいま立っている位置をグローバル社会の座標軸の上で確認しそれを直視することが、次の日本の選択の出発点となる。(日本経済研究センター会長・日本経済新聞社顧問)= 「日本記者クラブ会報」2006年3月10日発行第433号から

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