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夏の終わり 欧州の街歩き(村野 坦)2006年9月

 海外への旅は、いつも夏の終わりになる。街並みや人を見るのが好きだから都市にまとまりがあって、ぎゅっと歴史が詰まったヨーロッパへ行くことが多い。今年はポルトガルとベルギーにした。欧州大陸の外れと真ん中の二つの国は、まだ訪れたことがなかった。

 旅の楽しみ方はさまざまあるが、私は「日常からの脱出」に意味を感じる。日本が、そのまま移動して歩くような団体ツアーはつまらない。それで今回は、ひとり旅になった。

 成田を夜の便で発つとパリ乗り換えで15時間、翌朝リスボンに着く。さっそく午後から市内観光のバスに乗った。スペインから流れ下って大西洋に注ぐテージョ川の河口はリスボン港につながっていて、ポルトガルに黄金期を築いた15、6世紀の大航海時代から出船、入り船が通過した。川のほとりでそれを見守り続けた「ベレンの塔」を、機中で再読した司馬遼太郎の「南蛮のみち」は「テージョ川の公女」と名付けている。

 今年は16世紀半ば、日本が初めてヨーロッパに接した宣教師フランシスコ・ザビエルの生誕500年にあたる。ザビエルは、ここから東洋に旅立ち鹿児島に上陸するまで8年かかっている。天正少年使節団も、ここからローマへの道を踏み出した。ここに立って時の流れと日本との距離を思った。

 次の日、地図とガイドブックを手に石畳の坂道が多い街を歩いた。私は街歩きに原則、タクシーは使わない。家々の間を揺れながら走る路面電車やバス、地下鉄で歩いた。そんな中から人々の暮らしぶりが伺えるし、簡単なコミュニケーションも生まれるからだ。

 国会のすぐ近くに民衆歌謡ファドの「女王」といわれたアマリア・ロドリゲス(1999年没)の家が保存されている。アマリアに40年付き添ったという女性が鍵を開けて案内してくれた。「日本へは5回、公演で行きましたよ。どこも清潔で、寿司がおいしかったわ」。アマリアが唄う「コインブラ」の曲が流れていた。

 思い立って翌朝「リスボン特急」で2時間、中部の学都コインブラへ行った。1290年創設というコインブラ大学は、この国の学術文化の中心だ。壮麗な教会や図書館のほかに石造りの牢まであった。大学が王権と直結していた時代に異端の学徒を閉じこめたらしい。まだ学生の姿は、まばらだった。

 一泊したパリでは改装工事を終えたオランジェリー美術館へ行った。自然光を取り入れた楕円型の2部屋の壁面にモネの「睡蓮」の大作8枚が収められている。パリ北駅からベルギーへの2等車の相席はモロッコの技術者二人とソマリアの「元ジャーナリスト」、通路の反対側には東欧系の巨大なオバさんたち。実にいろいろな人たちがヨーロッパを移動している。

 ブリュッセルの目的はEU(欧州連合)の本拠へ行くことだった。朝日の前支局長・脇阪紀行論説委員の「大欧州の時代」(岩波新書)を読み、ご本人の話しも聞いてきた。一般見学者を受け入れるのは欧州議会で、一日2回、ガイドホンを借りて内部を歩くツアーがある。EUでは公式の全ての発言や資料を加盟25カ国で使われる20の言語に翻訳される。「見学者入り口」の表示も20の言語と使用国の国旗で記されていた。繰り返された大戦への反省から生まれたEUの、そんな根気強い努力に隣国が嫌がる靖国神社への参拝を強行する首相と、それに拍手する国の姿が重なった。

 旅の終わりはベルギー王宮美術館へ出掛けた。目当てのブリューゲル親子の部屋に入ると、12点の作品のうち空白になった二カ所の壁に「東京、大阪、長崎へ行っている」の掛札が留められていた。帰ると間もなく上野の西洋美術館で、その東京展が始まった。(2006年9月記)
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